ティモール短信(No3)    
ティモール短信(No3)
JDRACEOD東ティモール現地代表
    久光 禧敬

 2005.07.02
 今日は、ディリ市のお話しをしましょう。
 もちろん、ディリ市は東ティモール国の首都です。人口は20万人もっと多いかも知れません。市内はUN(国連)景気に沸いた頃と違って商店街の買い物客の外人が減って店もやや元気をなくしつつあるようです。また、店の経営者は中国系が圧倒的に多くて、ティモール人の活躍する場面は少ないようです。
 ポルトガル、インドネシア統治時代の影響か、独立はしたけれど、ティモール人だけでは国家の維持も困難かも知れません。大統領はゲリラ出身で絶大な人気を持っていますが、閣僚はポルトガル系の人や、インドネシア統治時代は他国に逃げ、独立とともに帰国して高官になったり、不思議なことに警察庁長官がその例ですが、インドネシア統治時代はディリ市で現職最高位だった警察官がそのまま居座ったりでなかなか複雑のようです。
 さて、ディリ市の交通ですが、鉄道、トラム類はなくすべて車が主役です。市内交通の主役はミニバス。常時いっぱいの乗客を乗せて市内の至る所を走り回っています。料金は、市内一律10セント。次がタクシーで市内は1ドルで大抵の所はOKです。インドの町で見るような、明治・大正・昭和・平成の交通機関が時代を超えて一緒に走ることはなく、馬車や人力車は走っていません。貧しい国ですが、どうしてこんなにタクシーが多いのか、どのようにして車を購入しているのかは想像出来ません。車を買えるほどの収入があるとは思えないんですが。タクシーにはもちろんメーターもついていません。
 ちなみに巡査で100ドル 警部殿で201ドル(なぜ1ドルかはわかりません。)が月給です。食事は、我々がよく食べる店で朝・昼・夕食の定食が3.5ドル。一般のティモール人はそんな高価なものは食べられません。
 我々が現在教えている学生(警官ですが)は本当によく病気にかかります。腹痛、マラリア、おでき、目の湿疹そしてまた、妻や子供が病気という理由でよく授業を休みます。また、休むときもまず報告はありません。この件については厳しく報告させる躾をしましたので私どもの学生は守り始めましたが、見たところ他の警察官諸君も休みの報告はまず無いといって過言ではないと思います。またまわりの警察官もあまりそんなことを気にしていないようです。ルーチン・ワークがほとんどないからでしょうか? 
 街中(まちなか)は、ポルトガル統治時代はかなり小奇麗な町だっただろうと思わせる家屋、歩道、公園が点在していますが、ほとんどは廃墟状態でインドシナからの独立戦争の後遺症が今も残っている状態です。独立はしたけれど。といったところでしょうか。この国の前途は多難のようです。でも結構勤勉さをもつ者がいることが唯一の救いでしょうか。ではまた。久光拝
ティモール短信(No3)

     

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