ティモール短信(NO18)    
ティモール短信(No18)
 東ティモールは雨期に入るはずですが、依然毎日好天が続きます。ディリ市(国の首都)の東、南、西側を取り囲む山々はすっかり赤茶けてしまいました。北側の海の群青色と見事なコントラストを見せています。ディリ市周辺の川では水一滴見ることが出来ません。砂利いっぱいの川が無惨な姿をさらしているだけです。これもこの季節いつもの風景です。
 ディリ市には、UNポリス(警官)は沢山見ることが出来ます。世界28カ国から現在980名来ているらしく、将来は1600人まで増強されるとのことです。しかし、肝心の東ティモール国家警察(PNTL)・警官の姿は町中ではほとんど見ることが出来ません。時々UNポリスと一緒に警邏している警官は見ますが、それは極めてまれです。
 今年1月、国軍(F-FDTL)591名の兵士の国軍キャンプからの脱走、そして彼らの解雇。解雇された隊員が全員西側出身者だったことから、今まで表面化していなかった東西出身者対決の顕在化。少しも良くならない生活、貧困。最初は単なるF-FDTL兵士の解雇事件だったものが、この事件を軽く見た政府の不手際により、この国の抱えている問題点を次々にさらけ出し、ついに、この国は、自国の治安維持のため、独立後、初めて、国連及びオ―ストラリア軍の支援を仰ぐという思わぬ方向に進んでいったのです。
 今はUNポリスやオーストラリア軍の活動でこの国の治安は徐々に落ち着いてきています。市内に活気が戻りつつあります。タクシーも増えてきました。市民も活き活きとした表情を取り戻しつつあります。
 しかし、この国の混乱の引き金となったF-FDTLの機能回復が遅れているのは理解できますが、なぜ、もう一つの治安の中心となるべきPNTLの機能回復が遅れているのでしょうか。たしかにPNTLは今回の騒動で20名近い死者と多くの負傷者を出しましたが、PNTL長官パウロ将軍始め、PNTL本部の高官たちの犠牲者は皆無に近いにもかかわらず、一向に回復が進みません。
 PNTLも騒動前は長官を中心に一枚岩の団結した集団に見えていました。騒動が激しくなる4月下旬頃までは、長官指揮のもと、PNTLはディリ市内の治安維持に当たり、それなりの成果を挙げていました。
 しかし、F-FDTLのMP部隊司令官アルフレド少佐(西側出身)と部下の兵士(西側出身者)がMPキャンプから武器を持ち出しての脱走以降、PNTLの治安維持態勢に陰りが見え始めました。
 4月下旬、暴動の拡大により、PNTLのディリ市内の治安担当地域の一部がF-FDTLに委譲され、これ以降、ディリ市内の治安維持体制は、PNTL一本からF-FDTLとのジョイントオペレーションに変わりました。ジョイントオペレーションは、それまで、比較的穏便(武器使用を努めて避ける)な方法で治安維持を続けて来たPNTLに対し、F-FDTLは力による治安維持も辞さない方針でしたから、治安対処方針の一本化の困難、それに加えF-FDTLとPNTLのそれぞれがそれぞれの治安部隊を指揮することで指揮系統の一本化が出来ず、当初から不安な面が存在していました。
 その頃から、一致団結していた筈のPNTLも、パウロ将軍の治安指揮に対し微妙な反応のずれが生起し始めます。PNTLの東側出身者の中にはF-FDTL本流と同調するグループが現れ、西側出身者の中にはF-FDTL解雇兵に同調グループ。さらに、アルフレド少佐(西側出身者の強硬派)に心酔する西側出身の警官も現れる、もちろん純粋にPNTLを信じPNTL中心で団結していこうとするグループもあり、いろいろのグループがそれぞれの思惑で動き始めます。パウロ将軍の直近スタッフたちも例外ではなかったようです。PNTL本部もついに高官同志が疑心暗鬼に陥ります。
 その上、大統領と総理大臣の対立が、彼らの上にも降りかかり、それぞれのグループにも益々複雑な要素が入り交じり、PNTLの混乱に輪をかけただろうと推測されます。PNTL長官、高官ともども何を信じ、誰を信じて良いか判らないという状況になったと思われます。 ポルトガル統治時代、インドネシア統治時代を通じ、原住民出身の警察官として常に最高の地位を保ち続け、独立後もPNTL長官と巧みに生きてきた百戦錬磨のパウロ将軍も時には本部を逃げ出し、指揮を執る事もあったといわれています。
 そして5月25日のPNTL本部付近での悲劇、F-FDTL(国軍)とPNTL(国家警察)の銃撃戦。PNTLとF-FDTLとのジョイントオペレーションが一挙に瓦解する事件が起きたのです。おまけに、PNTLの警官を殺害したF-FDTLの戦闘服を着たグループの中にPNTLの警官もいたという目撃情報もあり、PNTL本部勤務の高官たちの相互不信は頂点に達したと思われます。
 こういった事が未だ持ってPNTLの機能回復の足を引っ張っている大きな要素と思われます。PNTLの機能回復にはまだ時間がかかると思いますし、それにF-FDTLとの信頼関係の再構築も必要です。
 ところで、我々のカウンターパート、PNTL高官ヘルマン警部は今も自宅に戻らず、奥様の家から、私服でこそこそとPNTLや内務省などに通っています。現在は固定した勤務場所はないようです。その日その日彼の判断で誰かと会い、仕事をしているようです。ちなみに、この国は警官の総員約3000名、その内、准将1名、警部23名ですのでヘルマン警部(29歳)はエリート中のエリートです。
 わがドライバー兼通訳の二人の巡査殿も、もちろんあまり清潔と言えない私服。いつになったら制服に戻るのでしょうか。
 私どもも彼らにドライバー兼通訳の代償として給与を与えていますので、二人に警官の本来の給与の件を聞くと、僕らはPNTLから5月以来一銭ももらっていませんと一致して共同作戦を張ってきました。こういう点は実にしっかりしています。ヘルマン警部に聞くと「もらっているはず」と言う。そこでやさしく聞いてみると月給は25%アップして125ドルになったらしいが銀行からまだ取り出していない?(嘘ではないが本当ではないという日本のお役人の心を知っていたのかも)とゲロしました。立派。しかしゲロした後はけろっとしています。それでもなお愛すべき人たちではあります。
 最後に一句。「お土産も、感謝の心も、すぐに消え」読み人知らず。ではまた。
JDRACEOD東ティモール現地代表
    久光 禧敬

2006.11.21
                   久光 記
遙かティモール短信(NO18)

    

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