ティモール短信(NO13)    
ティモール短信(No13)
JDRACEOD東ティモール現地代表
    久光 禧敬

 2006.5.05
5月1日(月)
 ホテルの部屋から見える政府庁舎屋上の東ティモール国旗が静かに風にそよいでいます。いつものように静かな朝を迎えました。今日も勤務。東ティモール国もメーデーでナショナル・ホリデーです。しかし、ドミンゴス君とリナ女史には出勤してもらいました。 その日の朝、ドミンゴス君がとんでもない情報を我が事務室へ持ち込んだ。国際赤十字に勤めている彼の友人の話では「64人を超える死体を見た。その内の一体は計18発の弾が撃ち込まれていた」という。もし事実ならアルカティリ総理もこの国も大変な状況に追い込まれるだろう。
 彼の話によると、この殺戮はタシトル地区の警備担当が警察から国軍に変わった4月28日(金)夜から29日(土)未明にかけて起きたという。
 しかし、これはまったくの未確認情報で確しかめる術もない。また、それほどの死体がほとんど同一地区で出たのなら、もっと騒ぎが大きくなると思うがそれもない。眉唾ものかも知れない。
 町は静かでこれといった騒ぎもなく、静寂に包まれていた。アルカティリ総理大臣はテレビで「デモ期間中の死者は4名で他に多少の怪我人が出ている。解雇された兵士諸君とディリで話し合おう。またディリは安全だ。田舎に帰った人も帰ってきなさい。」と語ったそうだ。パウロ警察庁長官は死者の数は私に2名と言っていたが。
5月2日(火)
 いつもの通り、8時半に事務所へ。午前中は事務所で過ごす。明日、大脇君が日本に帰るので、夕方6時から、ディリで有名な日本料理店「祇園」で「しばらくのお別れ会。」 我がメンバーに平崎理事長、三瓶君、布施君も参加。楽しい一時を過ごす。これといった緊迫感も市内では見あたらない。
 ただ、依然としてヴィケケに帰ったままの我がオーナー・エレナさんの動向が気になる。ポルトガル統治・インドネシアとの内戦時代を生き延びてきた彼女の動物的カンがディリに戻るのをとどめているのかなあ?
5月3日(水)
 今日も、8時半に事務所へ。午前中は事務所で過ごす。13時ちょっと前に大脇君と空港に向かう。平崎理事長、リナ、ベルタ女史も我々のメンバーに加わって空港で大脇君を見送る。メルパチ航空機も若干の遅れはあったものの大脇君を乗せ、無事ディリ空港を飛び立った。
 夜は清水大使のご招待による夕食会に平崎理事長とともに参加。多分ディリではトップクラスのスペイン料理店「サグレス・ガーデン」でパエーリャ(ラゴスデ・マレシコ)というおいしいご馳走を頂いた。大使の話もこの国の治安情勢が主で、新しいニュースは聞けなかった。
5月4日(木)
 今日も8時半事務所へ。警察本部はとてもEOD(不発弾処理教育教育)を始めてくれとは言い出せない雰囲気。国家警察本部も未だ厳戒体制を維持している。
 9時、ベルタ女史が職場から帰ってきた。やや顔が青ざめている。ここは有色人種の国だが、我々は彼らの顔色も解るようになってきている。「職場には誰も出勤していない。私もバウカウに帰りたい」と私に言って来た。私の車が目当てだ。面倒は見てやりたいが…。結局、親戚の車で、オーナーの家に寄宿している東部出身者のベルタ・テテの二人(いつも我が事務所の清掃を担当している)もバウカウ(ディリから東150km)に向け緊張した顔で戻っていった。まあ良かった。
 買い物に出かけていた徳丸君から「ガソリンスタンドはどこも満員。また郊外に向かう荷物満載の車で道路が混み始めている。何か変だ」という連絡。私も事務所から、道路に出て見ると、確かに家財道具を満載した車が道路を占領している。例の市内ミニバスもタクシーもほとんど走っていない。どうも妙だ。
 早速、ドミンゴス君に警察本部へ行ってもらい、情報を取ってくるよう指示。しかし、彼もなかなか戻らない。今日は平崎理事長が日本に帰る日でもあるので、気になる。電話もいよいよ通じにくくなってきた。
 ドミンゴス君警察本部から帰る。「所長大変です。国軍のMP部隊15名ほどが今度は武器を持って国軍MPキャンプ(ディリ市内)を逃げ出しました。(いつの日に逃げたのかは確認できない)今度も指揮官は、サルシーナ中尉と同じ西部出身で少佐です。これは秘密事項ですが、事実です。」と。この情報が、昨夜あたりから、口コミで一般大衆に伝わっていたらしい。
 早速、日本大使館にこの情報を通報。国民としての義務?当然、大使館にも情報は入っていたと思うが。
 平崎理事長にもこの情報を伝え、ただちにディリ空港に向かうことにした。パンタレオ・ドミンゴス君の運転でディリ空港へ。平崎理事長は早々にチェックインして、空港内待合室へ。我々も直ちに事務所へ戻り、岸良君と徳丸君には非常用糧食・水などを準備してもらった。
 ドミンゴス君は家族のことが心配で、家族をマリアナ(ディリから西150km)に連れて行きたいという。OKを出す。パンタレオ君の家族は大丈夫だというので事務所にいて働いてもらう。
 これだけの市民がそれぞれ故郷に戻ることは、国軍同志(東西出身者のそれぞれのグループ)の衝突?一部では国軍と国家警察との衝突?(これはないと思いますが)はディリ市内で起こるだろうと予想する市民が多いと言うことでしょう。このことが彼らを一路故郷へ帰らせる理由になったことと思う。
夕方、岸良君が「平崎理事長はディリ空港を出発していない可能性もありますよ。確かめましょう。」という進言があり、徳丸君も含め3人で空港へ。(いつも感心するが、岸良君はよく気がつき、私を助けてくれる。感謝。)
 市内から空港へ向かう道路は、車も少なく、警察官の数も少ない。検問もない。すいすいと(道のところどころ穴ぼこがあり、そう早くは走れないが)空港へ。空港警備についていた警官に聞いてみるとメルパチ航空機はバリ島に向けて飛んでいった。明日は予定より早い11時からチェックインできると親切な応対。明日、我々も日本に帰ると思ったらしい。平崎理事長も今はバリ島、良かった。
 空港からの帰りにポリス・アカデミーへ。友人の校長(警察官)も居残り、陣頭指揮中。激励して早々に引き上げる。校長によると家族はロスパロスに帰しているとのこと。またポリス・アカデミーの敷地内に警察官の家族を中心に1000人程度が避難してきているそうだ。
 ホテルに着くとちょうどNHK午後7時のニュース、半井さんの天気予報をやっていた。東ティモールの明日の天気(治安)はどうかなあ

               久光 記
遙かティモール短信(NO13)

     

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