ティモール短信(NO12)    
ティモール短信(No12)
JDRACEOD東ティモール現地代表
    久光 禧敬

 2006.5.1
 1. デモ初日 4月24日(月曜日)
4月24日、午前7時10分、ドミンゴス巡査(ドライバー・通訳)のMOBILEから一報が入る。「現在国家警察本部に出勤中ですが、タシトル地区にある自宅付近(彼の自宅は例の大量脱走者を出した国軍駐屯地の近くにある。)にデモ参加者が早くから集まってきており、デモのコースはタシトル→政府庁舎前→国会議事堂→最高裁判所→大統領官邸になるのではないか」と。
 (今日はこういう状況でポリス・アカデミーでの教育も出来ないので、事務所を情報センターにして両警官にデモ隊の情報を仕事の合間に取るように指示、ドミンゴス君は主として警察本部で、パンタレオ君にはその行動力に期待してデモ隊に密着して情報を取ってもらうことにした。以下彼らが送ってきた情報である。)
 7時半、パンタレオ巡査(ドライバー・通訳)から報告が入り、「デモ隊はタシトル地区を出発した。デモ隊は国軍の制服を着ている。これは、デモ隊と一般民衆を区別するための警察とデモ隊との事前調整通り」と言っているが、真相はわからない。「デモ隊は徒歩で行動しているので、多分10時頃政府庁舎前に着くだろう。今からデモ隊に合流する。」と。いつも積極果敢な行動が身上だけにちょっと心配でもある。
 午前8時半、ドミンゴス巡査がホテルに迎えに来る。新たな情報、「解雇された国軍出身者は国軍の制服でデモ行進。サポーターは一般の服装、サポーターは西側10県から参加していて予想を上回るかもしれない」とのこと。
 私は彼の操縦する車で、政府庁舎の横を通り、事務所に向かう。政府庁舎付近は10m間隔に2人程度の警官がすでに配置についていた。全く緊張感はない。学校も職場もいつもの通り。交通規制も全くない。
 9時半パンタレオ巡査から報告。「今、デモ隊の後ろに着いた。デモ隊の数は900人ぐらい。現在、空港付近を通過中。」という報告。シュプレヒコールをMOBILEで聞かせてくれた。何を言っているかは後で教えるとのこと。しかしとうとう教えてくれなかった。
 以下はパンタレオ君が報告してきた事項を時系列に並べた。
 10時15分、ヘリポート前通過、10時40分政府庁舎前到着。デモ隊代表と総理大臣政府庁舎内で会談、不調か?11時30分国会前、ついで最高裁判所前、最後は12時30分、大統領官邸前到着。再び政府庁舎前に戻り、そこで気勢を挙げた後、明日に備え、デモ隊は政府庁舎前の海岸に面した公園に宿泊(露営)。
 デモ隊代表が、この日会談した相手は、前述の総理大臣、国会議長、最高裁長官。大統領とは会えず、交渉は不調か? 途中の露天市場付近で警官への投石騒ぎがあったが、けが人少々。デモ隊による大きなトラブルは無かった模様。

 次の日のTIMOR-POST(新聞)で第1日目のデモ隊行動の細部を確認してみたが、二人が逐次報告してきてくれたこととほぼ同様であった。
 (1)デモに参加したのは元国軍兵士を含んで1000人程度か。国家警察の見積
    もりを大きく下回った。
 (2)市内の一般市民特に学生層の関心はほとんど無かった。市民に拍手で迎
    えられることもなかったようだ。デモの盛り上がりはなかったいうこと。
 (3)このデモへの対策は現アルカティリ政権の統治能力が試されることにな
    るだろう。
 (4)このデモの直接の引き金となった国軍司令官TAUR将軍及び国防大臣はデ
    モ当日マレーシアに出張、不在であった。
 グスマン大統領の後継者と見られていた大統領に次ぐインドネシア統治時代のヒーロー、TAUR将軍の次期大統領の目がなくなったと言う見方は一般的のようだ。
 デモ隊の代表サルシーナが総理大臣など政府側に手渡した要求書の内容は解らないが、彼らが持つプラカードには次の様なことが書いてあった。
 (1)我々は真実と正義を求めている。
 (2)TAUR将軍に聞きたい。西側の人々が独立のために戦っていないとはどう
    いうことなのか。
 (3)国防大臣は解雇された兵士の問題を解決しようとしていない。
 (4)みんなが知っているように西側の人々は1999年8月30日には独立
    を勝ち得ていた。
 そしてデモ隊の代表サルシーナは公衆の前でデモの期間中に我々の要求が認められなければ我々は死を覚悟している。
 2.デモ2日目 4月25日(火曜日)
 明けて2日目のデモ隊の行動は静かで時折、政府庁舎付近でシュプレヒコールが聞こえるくらいで一般的に静かに推移したと思う。

 3.デモ3日目 4月26日(水曜日)
 第3日目、午後から市内に緊張感が漂い始めた。中心街の商店街は店を閉め始め、露天商たちは引き上げ始めた。市内の目抜き通りは心配そうな顔でデモ隊の行動を見つめる人々が増えてきた。
デモ隊の抗議行動に対し今日現在、政府から何の回答もなく、デモ隊にあせりと連日の野宿による疲れなどが重なって事態が動き出した気配もある。市の中心部でデモ隊が行動し始めた。一部でデモ隊とは全く関係のない東側出身者と西側出身者の極めて小規模な衝突があったらしい。サルシーナが言った要求が認められなければ我々は死を覚悟している。という言葉が時間と共に重くなってきた感じがする。
 しかし、デモへの同情とか、市民や特に学生たちの積極的な支持などは全くないようだ。現在、午後8時、デモ隊は政府庁舎前の海岸通りの公園地帯で、国家警察の監視下で野宿をしている。最終日がデモ行動の山場になるのだろう。

 4.デモ第4日目 4月27日(木曜日)
 第4日目は静かな一日となった。デモ隊は、サポーターの支援もさほどではないようで、資金面の支援も少ないようだ。アメリカがデモを支援しているらしいという噂(石油を巡る利権についてアルカティリがアメリカの言うことを全然聞かないから、揺さぶりをかけている)はあるが、真偽のほどはもちろんわからない。デモ隊の孤立とそれによる自棄的行動の方が心配になってきた。明日はどうなるのか、町は静かに暮れようとしている。
 5.デモ最終日 4月28日(金曜日)
デモ第5日目。今日はデモ隊に対し、政府が回答を出す日。その会議は政府庁舎でデモ隊代表と総理・内務・などの関係閣僚、それに大司教が加わって始まったという。(あとで確かめたところ、結局この日は会議も開かれず、政府からの回答もなかったらしい。)
 平崎理事長(わがNGOの理事長)を出迎えにディリ空港へ。市内は平穏そのもの。13時30分理事長到着。14時頃、一緒に出迎えに来ていたドミンゴス巡査に情報が入る。「警官一人が殺された。政府庁舎付近では車に火がつけられ燃えている。」と。直ちに三瓶君が平崎理事長をホテルに送る。空港を出ると、市内の状況は一変していた。私とドミンゴス君は途中で警察の検問に会い、理事長の車と離ればなれに。理事長はJICA前のホテルに入る途中で再び検問を受けたが、ホテルには車ごと無事に入った。アルカティリ総理大臣邸の前が理事長宿泊予定のホテルなので検問は厳しく、ドミンゴス君(巡査)はホテルに車で入れず、理事長の荷物を徒歩で運んだ。理事長によると、内務大臣ロバト氏が総理邸前で防弾チョッキ姿に身を固め陣頭指揮していたという。(私も最初は理事長の話を信頼していなかったが、正しかった。申し訳ない。)まさか、内務大臣自ら、20〜30人程度の警官を指揮して総理大臣宅の直接警護しているとは!信じられない。総理邸前の車両の内2両には銃弾が撃ち込まれていたという。
 その後、理事長をホテルに残し、ドミンゴス君と私は事務所へ。その途中、市の政府庁舎からタシトル方向に向かうデモ隊の一行に出会った。それほどデモ隊が興奮しているようには見えなかった。道には多くの市民が出て、不安そうな目で全員が市の政府庁舎(中心部)の方を見つめていた。こんな事態はデモ開始以降初めてのことだ。
 事務所に着くとパンタレオ巡査が来ていて、やや興奮気味に、「デモ隊4人が殺され、警官も一人殺された。この事務所は東側出身者が所有していることをデモ隊は知っているので危険だ。すぐにホテルに帰ってくれという。」我々は直ちに政府庁舎横の我々のホテルに戻った。
 しばらくして三瓶君と理事長が我々のホテルに到着、ホテル内のレストランで打ち合わせを始めたところ、レストランのオーナーが今日は申し訳ないが、従業員を家に帰すため、5時で閉店する。と言いに来た。
 私の隣部屋の坂本女史(ユニセフ勤務)がUN(国連)から戻ってきた。「どこの店も門を閉じていて食事はできませんね。」という
。 デモ隊の行動、政府の対応については皆目わからない。電話も政府がストップさせたらしく(後で解ったのだが、ティモール・テレコムの電話回線の容量不足による通話困難とわかった。アルカティリ総理は肝心な時に電話かかからないと激怒していたらしい。) パンタレオ・ドミンゴス君とも連絡がつかず、状況がさっぱりわからない。
 しかし、午後5時頃は、政府庁舎付近はひっそりとしていて、我がホテル周辺は、店などが完全に閉じている以外は、いつもの静かな状況に戻っている。今日のデモ隊の行動などについては明日、新聞、警察関係者から確かめるしか方策がない。
 午後6時頃から理事長とスタッフで安全と思われるホテル2001へ出向き食事をした。帰りに、デモ隊が野宿していた海岸通りを通ったが、人影もなく、使用していたと思われる天幕などが数張り残っているだけだった。
 明けて土曜日、新聞報道によると、死亡したのは警官1人、デモのサポーター1人、けが人は20人程度らしい。情報を正しく取ることは難しい。

 6.デモの後遺症 4月28日(土)
 今日も8時半に事務所に向け出発、途中、政府庁舎内の広場に黒こげの車が1台未だ放置されていた。昨日で終わる予定だったデモも後遺症が残り、昨夜から今日未明にかけて、はぐれデモ隊かそのほかの人たちによるかは不明だが、(午前3時〜5時)にかけて三瓶君の事務所付近でも銃声が数百発聞こえたという。家主も三瓶君のチームはいつでも逃げられるように整えているという。
 ドミンゴス君の情報によると、デモ隊主力がタシトル地区に入った時点(本日未明)から警備の担当は国家警察に変わり国軍が対処することになったらしい。
 昼頃、ドミンゴス君から思いもよらぬ電話が入った。「ドミンゴス君の自宅タシトル地区バスターミナル周辺はデモ隊が暴れていて、付近の住民はみな、ディリ国際空港ターミナルに避難している。私の一族15人もそこにいる。ターミナルは避難した人でふくれあがり、すでに飲み物も食べ物もなく、大変困っている。現在は全員元気でいる。」と。
 空港に行く途中のコロモ付近でもデモ隊が暴れていて、われわれは、とても空港には近づけない。何とかドミンゴス君一族を助けたいが、どうにもならない。気をつけて頑張るよう激励するのが精一杯である。その後はなかなか電話が通じず連絡が取れない。
 午後3時頃、パンタレオ君から電話連絡が入り「ドミンゴス君の自宅付近も徐々に平穏に戻りつつある。心配は要らない。」と。我々もほっと安堵した。
 午後5時頃、ドミンゴス君から電話が入り、「今、国家警察本部に到着しました。一族全員無事で、それぞれ自宅に戻りました。しかし、妹宅が焼かれ、妹の車も燃されました(妹の主人は東部出身者)」と。私はすぐにホテルに来るように指示し、その間、わがチームの大脇、岸良、徳丸君の手持ちの水、食料品をまとめてドミンゴス君に与える準備をした。ドミンゴス君がホテルに到着した。開いている店もあるでしょうと徳丸君が言うので、ドミンゴス君の運転で徳丸君と近くの店に行き、閉まっている門を開けてもらい、取り敢えず食料品を買い、頑張るよう激励して自宅に帰らせた。ドミンゴス君も我々の支援に感激していた。とにかく我がチーム全員の一致した協力とドミンゴス君の家族(一族)を思いやる心に感銘を受けた。

 7.4月30日(日) デモの後遺症
  8時半、今日も事務所へ出発、デモの方もすっかり治まったようで、元のディリ市に戻ったようだ。
 午後、ドミンゴス君を通じてヘルマン警部から連絡が入り、警察本部に手榴弾が持ち込まれたのですぐに、射撃場で射撃により爆破したいという。大脇・岸良君に相談したところ、一度見てみましょうということで警察本部へ。
 ヘルマン警部とは1週間ぶりに会う。ヘルマン警部に良く頑張ったなあと声をかけた。この1週間はあまり眠ることが出来なかった。その割には元気な様子だ。一安心。手榴弾は大脇・岸良君に任せ、この1週間のデモについて聞いた。「死者は2人、負傷者は30人以上、その後のことは警備が国軍に変わったので正確な情報は得ていないのでわからない」相変わらず手堅いヘルマン警部らしい答え方。
 聞いてみると、この手榴弾は国軍から警察庁長官へ直接連絡が入り、警察庁長官が面倒を見ると言うことで、誰かが警察本部へ持ち込んだもの。デモ隊?が使用したが不発に終わったらしい。こんな所にもデモの後遺症が見えた。ただ、警察が不発弾処理を担当している(しようとしている)ことが、国軍にも知れ渡っていることに少なからず私どものやっている不発弾教育が少しは知れわたって来たのかとほのかな喜びを感じた。また、我らの教え子ジェト君もヘルマン警部に呼ばれ、警察本部に来ていた。
 F-FDTL(国軍)が警備についてからは、ほとんど情報が解らないのでまた、状況が変わる可能性もある。多くの死傷者を見たという人もいる。その点はまたあとで伝えたいと思います。
(このレポートは主としてパンタレオ・ドミンゴス両君の情報と私どもチームおよび事務所のオーナー一族の得た情報を主体に書きました。また努めて複数の情報で確認を図りましたが、文中に出てくる数字などには客観性を欠く部分があることを承知願います。つまり独断と偏見によるレポートと言えなくもありません。)デモの総括はまたの機会に。久光記

 後記:文中に出てくるF-FDTL(国軍)のTAUR将軍は私どものオーナー一族と深い関係にあることがわかりました。オーナー一家は東部の出身、かつ、オーナーの家に寄宿しているレレさん、とチチさんそれぞれの叔父に当たるのがTAUR将軍だったのです。TAUR将軍および東部出身者に不信感と不快感を持つデモ隊に事務所がねらわれるのは当然だったかも知れません。

               久光 記
遙かティモール短信(NO12)

     

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