ティモール短信(No1)    
ティモール短信(No1)
JDRACEOD東ティモール現地代表
    久光 禧敬

 2005.06.08
 ボタルディ(今日は)、セニョール セニョリータ。こちらは東ティモール国の首都ディリです。北側が海に面したポルトガル統治時代はさぞかし綺麗だっただろうと思わせる小さな町です。今はその面影が残っているだけです。皆様にはお変わりないことと思います。やっとインターネットがつながりました。そこで早速近況報告をいたします。
 東ティモール国ディリ市は南緯八度付近に位置し、最高気温30度程度、朝夕はしのぎやすいときもあります。しかし、日差しは強烈。わたしの顔のしみもだんだん巨大化してきました。日本との時差はありません。東京と同じです。また、到着してから今日までまだ一度も雨が降りません。ディリを囲む山々も緑一色から赤茶けてきて、所々に山肌が見えるようになりました。お蔭様で私(六十六歳)もそしてスタッフの64、63歳の元ヤングボーイも元気でやっています。
 5月15日に現地入りし、20日には東ティモール政府内務大臣(MINISTER OF INTERIOR)との協定書の調印を終え、25日には東ティモール政府(STATE MINISTER &THE COORDINATOR OF GOVERNMENT)日本では官房長官でしようか、女性です、そして日本大使などのVIPをお迎えしてのポリスアカデミーでの教育開始式も終わりました。私もその際、一番目に英語で冷や汗ものの7分間のスピーチをやりました。それに先立ち、スピーチの原稿は日本大使館二等書記官の野澤女史にチェックをしてもらい、発音は同宿の老オーストラリア女性から深夜にいたるまで特訓を受けて望みましたが…。これは健康によくありません。
 翌26日から早速、第一期生の警察官10人に対するEOD(EXPLOSIVE ORDNANCE DISPOSAL)の教育を始めました。
その間、堀衛門さんなら想定内と言うでしようが、私にとっては想定外のこと(ある程度、覚悟はしていましたが)が連続して起きました。こちらの方はカウンターパートの警部殿を除いて、アポイントをとっても大臣、官僚さん、店舗をかかえるマネージャーさんたちはなかなか時間を守ってくれませんし、言葉の問題もあってこちらの要望を向うに伝えるのに一苦労しています。そこで私は案件解決のために、1日2件の問題解決を目標とした戦術に変え行動することにしました。つまり午前1件、午後1件、着実に案件をこなしていこうということです。常に、電子辞書、メモ帳、を駆使しての英語会話、筆談そして笑顔。こちらの方も大半は私と同じレベルの英語力ですから、コンプレックスに陥ることもなく、長嶋監督流の羞恥心のなさで話し合いを続けた結果、少しずつは問題解決の糸口が見えてきました。
 自衛隊時代の晩年や、民間会社時代は巨大な組織に守られ、何事をやるにも大半は「ご苦労さん」「ありがとう」だけで過ごすことができた幸せな日々が懐かしく思い出されます。ここではサボり屋の私でさえJDRACティモール事務所代表・秘書・ドライバー・通訳?・買い物係、掃除夫を兼務せざるをえません。 
 そのうえ、大脇・岸良両君(私のスタッフ・元同僚)が行う東ティモール警察官への教育も、当初は私が彼らの通訳をしなくてはなりませんでした。両君が日本語で、私がそれを英語?に、そして最後に現地人の通訳君が英語から現地語(ティトウム語)に。また、学生からの質問はその逆順で行いました。両君の顔から次第に笑顔が消えていきました。
しかし、私の必死の、本当です、要望がやっと実を結び、日本語とインドネシア語の両方が話せる通訳を確保しました。お陰で教育も軌道に乗りはじめ、両君にも笑顔が戻ってきました。教育の方はもう大丈夫です。
なお、この国は独立までは、インドネシア語で、現在はポルトガル語で学校教育が行われています。しかし、日常の会話はティトウム語(ポルトガル語と現地語がミックスされた言語)が使われています。私どもが教えている学生は20から30代前半の世代ですからインドネシア語が一番教育には向いているようです。ご参考までに。
以上が第1回目の報告です。ホテルの部屋から見ると今日も快晴です。また暑くなりそうです。
 出発に際しての数々の激励ありがとうございました。本当に感謝しています。オブリガード セニョール セニョリータ(ありがとうみなさん)ではまた。
         東ティモール国ディリ市から 久光
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