王土会会報 第27号別冊 (17.10.1)
  (講師 荒木 肇(はじめ) 氏 の略歴)
・昭和26年東京都生まれ
・横浜国立大学教育学部教育学科卒業
  同大学院教育学研究科修士課程修了
・現在 生涯学習研究センター常任理事
    横浜市主任児童委員
    川崎市立久末小学校勤務
・著書
 「静かに語れ歴史教育」「自衛隊という学校」「指揮官は語る」ほか多数




   目  次
1 はじめに
2 現代化社会とはどういう社会か
3 現代化社会の4つの指標
4 都会化がもたらしたもの
5 情報化がもたらしたもの
6 少子化がもたらしたもの
7 学校化がもたらしたもの
8 「役の体系のわが国」と欧米
9 異文化への耐性と寛容性
10 経営ってなんですか

「現代化社会の中の陸上自衛隊」
             荒木 肇
◇はじめに
 私の専門は横浜国大で教育学史、所謂歴史でありますから、「日露戦争後の教育改革と軍隊教育から始まって大正時代の学校改革、満州事変までの日本陸軍の平時の教育システムと平時の公立学校の教育システムの比較、それからご承知と思いますが現役陸軍将校の学校配属の問題」、そういった変わったところを専攻してまいりました。また、大学院では「陸軍の統率、学校における教育のリーダーシップ」について研究し、修士論文もそういう形で書きました。
 私は自衛隊や軍隊に対する世間の誤解が非常に不快でございまして、著書「静かに語れ歴史教育」の中で「自衛隊に対するまなざし」という一章をたてまして、戦後の学校教員が自衛官に対しどういう眼差しを持ってきたのか、これが今私達をゆがめている元凶ではないのか、ということを主張してまいりました。そのような訳で、勧めもあり「自衛隊という学校」という本を書きましたが、わたしの仮説どおり自衛隊は学校でありました。
 戦前は軍隊の教育と公立学校教育というのは国の近代化を進める車の両輪であった、というのがグローバルスタンダードの教育学者の見解なのですが、日本の教育学会だけはそれが通用しない。戦後ひたすら学校教育だけなんだと、軍隊はいらないんだと言ってきました。そのような訳で教育のゆがみが出てまいりました。

◇現代化社会とはどういう社会か
 私ども教育者達は、今この社会を現代化社会と名づけております。現代化社会、つまり近代化社会ではもうなくなった。しかし、各国はそれぞれのタイムスケジュールで進んでおりまして、中国は未だに近代化の途上であると思っております。韓国も私はそうだと思っております。わが国は1980年代頃、約4半世紀前頃からほぼ現代化が始まったと考えております。今、色々のことが騒がれておりますけれども、それも現代化のためであると考えております。そういう中で陸上自衛隊は私の知る限り、その「誇り高き陸上自衛官の心得」一つとりましても21世紀を見通したなかなかのシステムを持っている。それが良く実感できるのが、私の娘達です。下の娘なんか銃剣道が大好きで大好きで生き生きとして防大から帰ってまいります。   
 「若者は変わった」と言われておりますが、世間の中には「不易と流行」がありまして、不易の部分は少しも変わらない、例えばここに私の娘を連れてきたとしますと、やはりこれは防大生だとお思いでしょうし、やはり伝統を継いだことを本人も言うでしょう。「陸上自衛官の心得」の意義というものを外野席の私ども教育学の専門家から診た評価をお伝えしたいと思います。

◇現代化社会の4つの指標
 「現代化社会とは何なのだ」とよく言われるのですが、私ども教育学では四つ考えております。
・都会化
 1980年といいますと今から25年前で、高校の進学率が96パーセントになりました。専門学校、大学等の高等教育を受ける人が60パーセントに達したのもこの頃で、収入の格差も余りなくなりました。そういう中で都会化が進み全国の駐屯地を回って観ても、まわりの景色はどこへ行っても同じで、何処かは聞いてみないと分りません。全国どこにもコンビニがございます。同じものを売っています。子供はみなユニクロを着ています。女子高生はルーズソックスを履いています。全国どこでも変りません。
 川崎市の子供の体力は岩手県の子供の体力より遥かに上です。青森県の子供の体力はもっと下です。田舎の子供も、過疎化してきて、遊び場が無いものですから、ほとんどの子供が家でパソコンやゲームをしている。どこへ行くのも自転車ですね。都会の子は親が教育熱心のものですからスポーツ塾とか、水泳塾とか一杯行かせている。私どもの子供の体力の方が遥かに高い、これも都会化の一つでございます。

・情報化
 情報が直撃する社会になりました。私どもはもともと人から何かを聞いても必ず他人のフィルターを通しました。現在は一人一人に直接大量の情報が入ってきます。
 私は横浜市の情報処理研究センターの研究員であったことがありまして、「コンピュータ時代の到来前に、子供達に何が必要か」という研究を最初にやりました。その恐れていたことが正に4半世紀後に出てまいりました。
 ほとんどの人が何でも解った気になっています。若者なんて特にそうですね。昔は子供の頃から若者の頃はいろんなことを体験し、苦労して大人になっていったのですが、今の若者は「そんなのはいつでも調べれば解る。見れば解る」と解った気になっている。そういう時代になりました。

・少子化
 少子化は最近始まったように言われていますが、教育統計、厚生労働省の調査よりますと、だいたい子供が少なくなってきたのは昭和27年頃からです。今は一夫婦の子供は平均1.3人です。私共の久末小学校の生徒は1千百人おり、6百家族おりますが、一番多いのは子供3人です。一夫婦の子供は平均2.3人です。何故1.3人になってしまうのか、結婚しても子供をつくらない人がいる。結婚が遅くなっている。結婚が遅くなり、38歳くらいになると子供をつくっても1人です。こういう事態が増えている。これが少子化の実態なのです。
 少子化のおかげで子供嫌いのメンタリティーが出てきています。子供というのは騒々しくて、うるさくて、我侭なものです。だから元気なんですね。そういうガサツな存在なのですが、それが嫌だという人がいる。私ども学校教員の中にも、私なんか面白くてしょうがないのですが、それが許せないという人がいます。

・学校化
 私達学生だった頃は、「家庭は養育、学校は教授、世間は訓練」こう習ったのです。ところが現在、養育しない親が増えています。どういうことかというと、今、私の学校に1千百人の子供がおりますが、朝食をとってこない子供がどれくらいいるか、調べさせましたが、かなりの数の子供がまともな朝食をとってきていませんでした。食べさせて貰えないのです。親の生活が非常に深夜化している。親があまり気にしない。中には朝200円お金を貰ってコンビニでおにぎりを買ってきて校舎の隅で食べている。そういう子供も珍しくありません。懇談会で、それが困るといくら話しても「私働いているのよ」と、親はもう養育放棄です。それからいくら学校で教授しようとしても、厚生労働省のILO態勢施策の「ゆとり教育」で時間が削減されている。我々は「土曜日をください」と反対しました。世界のグローバルスタンダードに照らし、批判を受けるからといって切られたわけです。時間を削減しておいて教授しろ、教授しろと言われても難しいのが実情です。
 また、世間は訓練機能を失っています。うちの近所に県立高校がありまして、2部があるものですからグレてまして、夜になるとタバコを吸って歩いて、家の前でゴミをポンポン捨てる学生がおります。注意しても中々言うことを聞きません。約2ヶ月の間注意し続けたらやっと家の前が奇麗になりましたが、近所の人に「荒木先生いつか刺されるわよ」と云われました。刺されては困りますが、「私は教員なんだから、指導するのが仕事ですからご心配なく」と云うのですけれど、よく考えたら大人は誰でもそういう訓練をするのが本当なのではないでしょうか。

◇都会化がもたらしたもの
・こだわりの喪失→「個性の見失い」
 都会化で我々一番困るのは、個性を見失ってしまう。個性というのは教育学の方では色々解釈があるのですが、個性というのはその人のこだわりです。例えば昔は色々の年寄りがおりまして、スーツならこれ、スカーフならこれ、というこだわりがありました。現在は、私どもは中々そういうこだわりが持ち難い時代です。大量に物が溢れており、宣伝されている、子供さん達が5万円,6万円のブランドのバックなど持っていますが、あれは自分で選んだのではなくて、買わされているわけです。個性というものは今は中々ない。個性的,個性的だというと、我侭のことになってますから、個性というものが中々ない。

・私事化の進展→「原子化の不安」
 私事化、慣れていない言葉ですが、「プライバタリゼーション」、すなわち「自分の自己実現を公の場や、皆の前でやらずに、私的な世界に閉じ篭る」ことです。例えば私どもの職場でも、「4時半になると、さっさとカバンにものを入れ始め、5時になると壁を見上げ、5時15分になると、お先失礼します」と帰る者がおります。この間も、これは役所の方ですが、「おいちょっと待て、お前の書いた書類、これについて意見を言うからちょっと飲みに来ないか」と云ったら「これから趣味の会がありますので……。明日はどうなんだ――明日は家内と一緒に買物の約束が……。明後日は――子供が塾へ行ってるので夜に迎えに……」とこんな具合です。しかし止めさせるわけにはいかない。「プライベートの時間でなくて公の時間にやって頂けませんか」と、彼は云います。彼は私どもと一緒にやるよりは私事化した方がよいのです。私事化というのは、実は近代学校教育を受ければ当然でしかたないですね。近代の学校が言ってることは、「個人は自立しなさいよ、個人が大事なんですよ」と、言い続けているわけですから、自然に私事化します。
 怖いのは何かといいますと、この裏にあります原子化、あのアトミックのアトムですが、支えがなくなってバラバラになってしまうことです。実は私ども人間というのは、私という回りに沢山の人間関係があって私がいるのに、それを全部切ってしまうわけですから、非常に今、一人一人が不安になっている時代です。

・自分探しという流行→「誤解」の結果
 「自分探し」、誤解がこれです。「探してみつかる自分なんかないよと」云っているのです。この間も若い先生方の研修で、「自分探しの旅」なんてバカなことを云う者がいるものですから、「お前大学何年いってきたんだ、自分なんて無い」と云ってやりました。私達にあるのは、精々役割の中での自分位で、自分なんか無いと思います。
 私なんか、「でも」「しか」教師で、大学院では「日露戦争後の教育改革」を研究したものですから、企業の人は「何、それ!」と、もう学校の先生しかなれません。しかも、何れ大学に戻るとしても、一度学校の現場を経験した方が良いのではと思い、教師でもやってみようかと考えたわけです。
 その私がやっぱり、自分て何だろうと考えたのは一人一人の子供さんとの出会いであります。今でも印象に残っていることがあります。私、初めて学校へ行きまして、見たのは2年生ですが、ある子供が給食時、私に「先生、今日僕バナナ食べてみる」と云ったのですね。待てよこの子バナナアレルギーと云ってなかったかな、一瞬頭を過りました。「食べない方がいいんじゃない」と云いましたが、その子どもは「先生はこの間、何でも頑張ってやってみなければ解らないと、言ったじゃない」と云いバナナを食べました。やっぱり駄目で嘔吐しました。ここで私が嫌な顔をしたら、この子供はこれから先ずーっと嫌な思いをするのではないかと思い、「よくやったねー」と私は平然と笑いました。私はこれだと思いました。これで一人の子供を裏切らないで済んだと、今でも昨日のように覚えています。
 そんな経験一つずつが自分を創っていく訳で、自分に合った職業なんて無いと思うのです。この間、厚生労働省の人に言いました。「自分に合った仕事がみつかるかもしれない」と言うハローワークの看板下げた方がよいと。嘘を言っちゃ駄目だと。そういうことを書くから、甘やかすんであって、「まずやってみろというのが本当の狙いだろう」と云ったのですが、その人は「世界が違うな」と言って納得しませんでした。

◇情報化がもたらしたもの
・情報処理能力の貧困
 情報を使うのには処理能力が必要です。私どもは「比べたり、相関図などで何処が違うか糾す」という能力がないといけませんのに、それが出来ない。おかげで入ってくる情報をみな鵜呑みにして解った気になっている。典型的な例がマスコミ人種ですね。ある人から「先生いま学校教育はどうなっているんですか。不登校者が2万人いるそうじゃありませんか」と、電話が掛ってきました。「いるよ、もっといるよ」と云いますと「えー」と驚いていました。今、小学生は760万人います。760万人の内の2万人、2/760ですよ。逆にいえば大変珍しいということです。でも私はもっといると思っています。何故なら大体子供さんの7%はLD(学習障害)、ADHD(多動性注意欠陥障害)、アスペルガー症候群、それから自閉症この4パターンの病気なのですが、7%がこういうお子さんです。ということは40人学級なら3人はおります。そういう子供達が暴れて、教師が管理能力がなければ学級崩壊します。学級崩壊は社会現象と言われておりますが、ほとんが実は教師の能力の問題です。教師が悪いのです。私は一度も学級崩壊したことがありません。おそらくやり方が違うのだと思います。

・自己主張の弱さ→「PISA」の結果
 それから、実はなんでも解った気になっている一番の例に、学習到達度調査(PISA)があります。ご承知のように去年の暮れにマスコミで大々的に発表された、「日本の子供はゆとり教育で駄目になった」というのがこれです。3年毎にOECD加盟国プラスアルファで60ヵ国がオリンピックみたいにして同じ問題に挑戦します。どういうことを評論家の方々は言うのか、私どもみんなで読んでいるのですが、「またいつもの表面だけのペラペラだね」というのが出た結論です。教育評論家というのはどういう方でしょうか。盛んに脱学校化なんて云っております。そういう人達が言っていることを聞いてますと、さも、もう日本は駄目みたいなことを云っています。
 PISAの結果、ご安心下さい。わが国の子供は国語能力は1位グループの中にいます。人は1位グループと云うと、「何だそれ」と云います。世界60ヶ国あり、全部国語が違いますから、正確に1位、何位とかとれないのです。負けてるのはフィンランド、ルクセンブルグ、香港、マレーシア――インドにやや負けている位です。負けているのは、フィンランドとかルクセンブルグとか小さな国です。レベルT〜Xまで6段階に分けて子供達を調査致しますが、この中のレベルWとXの合計が、日本は33%もある。3人に1人が実は世界水準からみてレベルX、Wの子供達なのです。数学も世界一です。理科の応用も世界一です。これをもってどこが日本の子供が悪いというのでしょうか。それが実態なのですが、問題を見てない方が多い。なんでも1位病の方が多くて、「荒木君それでも世界一じゃないのかね」と、何でも世界一である必要はないと思いますが、そうでない方が多い。これも情報がどんどん入るから処理能力の無い方が、騙されてペラペラ喋っているのではないのかなと思っております。
 一つ心配なのは、PISA1位グループに入ってるのですが、内在した不安があるのです。問題が何種類もありまして、日本の子供達がダントツに強いのは「文章の中の空欄があって、そこに合う言葉を入れる能力」、それから「書かれたこととその要約が合ってるものを選ぶ能力」、これも世界一です。弱いのが「その与えられた情報が自分にとってどういう意味があるのか作文する能力」、「この情報と違う情報を比べて自分の意見を言う能力」とかが実は2位グループです。しかし、先程言った問題を選ぶとか、ここにあるものを要約するとかは世界一高いものですから1位グループにおります。そのような内容を見ると子供さんたちに今何が足りないのか、お解りになると思います。「自己主張が足りない。人の口まねはでき、うまく要約はできるけれども、自分のアイディアで判断を中々しない」子供さんが多いのじゃないかと思います。

・異文化の耐性が低下→「話し合わないで仮面をもってくらす」
 それからもう一つは、異文化への耐性が低下している。つまり私たちの周り全てが異文化ですね。この間面白かったのは、異文化の壁を越えてということで、自衛隊諸官の海外へ行った人達からインタビューをとりましたが、海上自衛隊の「おおすみ」に乗って行った陸上自衛官が面白いことを云っています。船に乗ったら、「ラッパも違う。時間も違う。整列も違う。飯も違う。何か全部違う。ひどい目にあった」と云ってました。海の人に会ったら、「陸さんは全く違うんですよね」と云うわけです。これは異文化なのです。私どもも同じで、私は50代ですが、40代の先生をみると、「何だこいつは」と思ってしまう。異文化なのです。そういう異文化はいっぱいあります。
 私達は異文化への耐性が低下しているのではないでしょうか。つまり、その人達と話し合わないで仮面をもって暮らす。コミュニケーションとは、本当は俺という人間がここに居て、例えばこういうものがあったら「俺の生育歴からこう見るんだが、お前はどう見るか、私の生育歴や経験からこう見るんですけど…」ということだと思うのでが、そこに至りません。「奇麗なグラスだろ」、「奇麗ですね」で終わってします。それ以上踏み込めない。その様な気が致します。

◇少子化がもたらしたもの
・子供嫌いの親が増えている→育児放棄・虐待
 それから先ほど申した子供嫌い、育児放棄、虐待が問題になってまして、横浜市の主任児童委員の役目としては、虐待されている子供達をなるべく早くキャッチして児童相談所に通知して協力し合いながらやるという仕事があるのですが、子供さん達を見ていますと、子供嫌いの親も増えています。
 先ほど申した上げたように、今、学校の若い先生方の一番の悩みが、子供の猥雑さに耐えられないことです。川崎市でも、横浜市でも、東京都でも教員になるのは大変優秀な人達です。小学校でトップ、中学校では生徒会長、高校は名門進学校、大学は国立大学、来る人達は皆優等生です。小学校の教員がいま一番大学院出が多いのです。面白いことに、政令指定都市では大学院出をなるべく多く小学校に入れようとしております。その人達は皆エリートです。
 そして、何が困るかというと、「子供がいうことを聞きません」と言います。いうことを聞かないのが子供なのだと私は云うのです。「では荒木先生どうしているのですか」と、「聞かない奴は放っておいています」と云うと「えー」なんて驚くわけですね。いつか聞くこともあるだろうし、聞かせるには色々な手があるだけです。先生の中に本当に子供嫌いがいるかというと、本当におります。とんでもないことを言う女の先生がいます。「先生、あの子汚いんです。汗拭かないんです」、「いいじゃないの、子供だもん、私が子供の頃は袖で鼻拭いている子供がいたよ」と云うと、「えっ汚い。気持ち悪い」と云うのですね。私なんかそうは思わない。

・商品サイクルの短期化→造られる流行
 それからもう一つは、右肩上がりで人口が増えている時代は、商品一つのサイクルが長かったですね。つまりどんどん右肩上がりで人口が増えていったものですから、次々と新しいものを出さなくても売れていたのです。ところが今は、大変商品サイクルが短くなっています。つい先頃までタマゴッチなんていってましたが、そんなの全然流行遅れですね。業者さんに聞いたら3ヶ月で変えるそうです。そうしますと流行がどんどん創られます。この動きに私ども大人も巻き込まれて行きます。いつでも新しいもの、新しいものとなっていきます。

・「長い親期」の負担→大人たちのストレス
 これは余り云われていないことですけれども、今は、所謂「親期」が非常に長くなっています。笑い話で、つくづく私、下の娘が不憫でしかたありません、たった18歳で、憐れにも親元を離れ、あんな環境の中にぶち込まれ(笑い)、1年生で帰ってきた時、家内が呆然としていました。初めて帰って来たのが連休ですが、美しかった筈の顔がぶつぶつだらけ、手はボロボロ、くさい匂いまでする。本人が防衛大学に行きたいと云うから行かせましたが、なんと不憫なかわいそうにと思いました。しかし良く考えてみれば、昔の日本人は97パーセントが12歳で親元を離れています。大正時代は97パーセント、昭和になりますと高等小学校が出来たものですから、少し上がってきまして13才位で殆どが親元を離れている。
 どうでしょう、こんなに長い間、親をやる時代というのはありませんでしょうね。それに耐えられない親が一杯いる。ですから大人達のストレスが大変多い社会になっている。こういうことが考えられる訳です。

◇学校化がもたらしたもの
・何でも学校へ→交通安全から薬物まで
 それから学校化、今は何でも学校なんです。この間、114校の先生方をアトランダムにチェックしてみました。実際どれくらいの時間授業をやっているか、本当のことを書いて貰いました。規定によれば年間35週で、1千時間くらい子供は授業を受けるはずなのですが、本当に黒板に向かって漢字書かせたりしているのは600時間です。そんなものです。
 いま、学校は17種類の教育を背負わされています。この間も、交通安全教育、1年生と3年生、必ずやる訳です。自転車の乗り方教室で、校庭にラインを引いておまわりさんが来てピッピー、ピッピーやっている訳です。交通安全なんか親がやればよいと思います。もっとひどいのは薬物です。誰が考えたって、「ガスライターのガスを吸えば体に悪い」ことなどは誰でも解ります。その様なことまで学校が教えろというのです。立派なパンフレットが来まして、しかも1人当たり全部配ります。お金も相当掛かっていると思います。それから、カードで大学生が借金づけになりますと、一気に小学校まで降りてきまして、金融庁からやって来ました。またパンフレットが出てきまして、小学校5年生と6年生に消費者教育をして貰いたいと言うのです。偉い人は、「良いことはやりましょう、やりましょう」と云うものですから、何でも学校で、「良いことばっかり」になってしまいます。実は世間の人もすぐ「学校でやってくれ、学校で教えて呉れれば良い」と云いませんか。「電車の中で年寄りに席を譲れ」、これも学校で教えろと云うのです。「そんなの家庭のやることだ」と我々は思います。
 ところがなんでも学校社会ですので、やらないなんて云おうものなら、もう袋叩きです。こういう調子できますので、私一度やられまして、ある新聞記者に「あんたそれでも教師か、辞表書け、なんて」ボロクソに云われたことがあります。私はたいしたこと言ってないのです。「病気の子がいるのだから、多少子供が荒れるのは当たり前だ」と云ったら、「貴様それでも教師か、新聞に書いていいか」と、「どうぞ」と云ったら、帰っていって、その後何もありませんでしたが、こういう人が最近増えてきました。それも大人社会のストレスです。

・世間に開け→玉石混交が世間の実態
 それから「世間に開け、世間に開け」と言いますが、実際は世間は玉石混交ですので、なんでもかんでも世間の人を連れてくれば良いというものではありません。この間、ある小学校で企画を立てまして、「戦争中の苦労した話」というのをお年よりから聞こうということになりましたが、大失敗しました。その方に30分の話を頼んだのに、その方は1時間半、現在の社会に対する不満から、老人施策に対する不満まで延々と話された。お願いした講師ですから先生方誰も止められません。みんな失敗したなと思いました。。

・地域社会の消失→訓練をする場が喪失
 それから、訓練する場が喪失してしまっているので、「地域社会というものをもう1回組み直さなければいけないだろう」こう思って、「その発信基地に学校がなれ」という施策をやっております。
 ですから、私ども今、方針を変えていって「学校の先生が土曜日とか日曜日は地域の催し物にどんどん参加するように、しかし教員は24時間勤務ですから代休はださないよ」と云っております。昔は土曜日学校に出て行って、地域の通学路を清掃したら、すぐ組合員が「土曜日の午前中ですから、変りに休ませて下さい」と言って平気で別の平日休んだりしていました。ここ3年そういうことはしてません。私の学校では夏休みも7月23日〜8月10日まで学校開放日としました。「自由に学校に来ていいよ。お父さんも、お母さんも、子供も来ていいよ」と、「教員達は、居る者がお相手します」と、こんな施策を行います。そういう時代になってまいりました。そういうことで地域社会をなんとかしたいと思っています。

◇「役の体系のわが国」と欧米
・役割社会と個人社会
 外国人と話して一番困るのは「役」についてなんです。私達日本人には「役不足」とか、「あの人には役が重い」とか、そういうふうに言います。つまり責任が伴っている役というのが欧米人には中々解りません。そのニュアンスが中々伝わらない。どうしてかなと考えておりましたら、実は20年前に東大の東洋先生が日米子育て比較をやりました。そういう中でアメリカと日本の社会が全然違うのだなということが解りました。
・他人様に迷惑をかけないように→子育ての日米比較
 当時、35歳くらいの日本のお母さん、今は60歳くらいだと思いますが、そのお母さんに「どの様な子供に育ってほしいですか」と、日米で同じ質問をしました。アメリカのお母さん達は「リーダーシップがとれて人の話が聞ける人間」になって欲しいが70パーセント、日本のお母さんは80パーセントが「人様に迷惑をかけない人」になって欲しい、リーダーシップはたった8パーセントしかありませんでした。アメリカは逆です。「人様に迷惑をかけない」は6パーセント、この差が大きい。

・評価される受容的勤勉性→「役にともなう責任と誇り」
 では一体、日本人はどうなのかといいますと「受容的勤勉性」が評価されます。私達は「どういう人間が好きなのか、どんな人間が良い子だ」と思うのか、実は教育の意識調査をやろうと、なにをやろうと、はっきりしたデータがあります。「先生の言ったことなら、意味が解らなくても、まずやってみる子、黙々と努力する子」は日本では大変評価が良いのです。逆にアメリカでは自主的選好性、「自主的に選んで好みををやる子、つまり教師が何を言っても『NO』と言える子」であり、「教師が何を言っても自分を貫く子」こういう子は優等生です。これはもうはっきりしてます。

・心を重視する→己を虚しく他を慈しむ
 陸上自衛隊は未だに「心を重視する。己をむなしく、他を慈しんでいる。こうしろということを大変おっしゃる」、献身ですね。これは正に日本社会の美点を残した、不易を残した大変立派な姿勢だと思います。何故かと言いますと、調査した後の結論ですが、要は江戸・明治期のゼロサム社会を基にしているのが日本人なのです。フロンティア社会を基にしているのがアメリカ人なのです。今世の中はどういう時代か、世界的に見ますと、資源面では所謂ゼロサム社会です。中国でガンガン石炭を燃やせば困るのはこっちだし、そういう意味で資源面ではゼロサム社会です。そして情報とか、知識の面ではフロンティア社会ですから、アメリカも何でも力で強制する社会では行き詰まってしまいますし、私達日本人もゼロサム社会を基にしただけでは知識情報社会に生き残れないのではないかと思います。つまりどちらも一長一短ある中で、「私達は心を慈しんで、人に献身しながら、自分を主張して、フロンティアの部分で戦う人間」を造らなければいけないのではないでしょうか。
 逆にアメリカ人は謙虚になって、「なぜ日本の陸上自衛隊はイラクの人達に反感をもたれずに、アメリカ人はイラクで反感をもたれるのか」考える必要があると思います。、これは先ほど申したフロンティアとゼロサムの違いだと思います。

◇人生修業の道場とコンボイ感覚
・コンボイとは
 いま、学校社会で足りなくなっているのは、コンボイ感覚です。護送船団と訳されますが,教育学用語では、実はコンボイとは「人生のある時期を共に過ごし、互いを自分の成長に意義ある存在として認め合うユニークな人々の群れ」という意味です。こういう集団を私達は創っているか、学校現場では私達は自分達に問い聞かせ、若者にも言っております。「ここで出会ったのは一期一会なんだよ。この出会いが『君達は私の先生である。私は君達の先生である』と、そういう関係でいこうではないか」と、子供によく言っております。これがコンボイ感覚です。私は昨日も一昨日も陸上自衛隊の駐屯地で,先月は旭川で、この話を壇上から自衛隊の現役諸官にもお話し致しましたが、多くの方が「うん」と肯いてくれました。そして「諸官はこういうことを実践してますよね」と言ったら、皆さん「うん」と頷いてくれます。やはり陸上自衛隊の強さだと思いました。
 コンボイ感覚についてもう一つ面白い話があります。私は大東亜戦争の、あるいは第2次世界大戦の世界中の陸軍将校達の遺書を集めたことがあります。そこで日本の将校達だけが持っている特質に気が付きました。実は、遺書を書かれた将校の内、7割の方が自分のことだけではなく、部下のことを書いております。これは日本だけなのです。ドイツの将校は僅か一割位です。アメリカの将校は5%でした。ロシアの将校はゼロに近い。どういうことが書かれているのか、私が一番感動したのは、21歳の航空士官学校出身の少尉の方が、こういう手紙を書いております。「お父さん、お母さん、先立つ不孝をお許し下さい、しかし、私は明日にっこり笑って死んで行きます。只一つ心残りは、明日私が連れて飛ぶ2人の列機の少年飛行兵出身の伍長たちなのです。どうぞ、私のことは泣かずに、私が死んだ後、この2人の遺族を訪ねて下さい」と。これは日本のまさにコンボイ感覚ですね。私はそれは日本陸軍の伝統なのだなと思いました。そしてわたしは陸上自衛隊のCGSの学生やFOCの学生に聞いてみました。「皆さん指揮官になった時に、仮に遺書を書くとすると自分のことばかり書きますか」と尋ねますと、「皆多分部下のことを書くでしょうね」と、返ってきました。「伝統がひき継がれているのでしょう」とよく話しをします。

・自尊感情の育成(自己効力感・自己有能感)
 そして、これはアメリカのパットン将軍の自伝から見つけたのですが、一番必要なのは、人間というのは「自尊感情」なのです。「自己効力感、俺って結構やるじゃん。自己有能感、俺ってこんなこともできるんだ」ということです。「そういうことは陸上自衛隊の諸官は日常部下の若者にやってますよね」と、話を致します。「一隅を照らす光になれ」でもいいんですね。あるいは「お前のやったことはこんなに役にたったぞ」と誉める。私一番感心したのは、「今日の味噌汁美味いぞ――。『若い隊員が僕が造りました』と云ったら――元気でるぞ」と私の前で云った陸曹がいました。ああこれだ、あの若者は自己効力感と自己有能感を貰ったなと思いました。こういうことを普通にやっている陸上自衛隊だなと思いました。

 ◇異文化への耐性と寛容性
 「気付く(変化や違いに敏感に)、創る(構えを変える)、選ぶ(情報収集を貪欲に)、決める(果敢に実行する)」、子供さん達へもこれを言っております。先ず気付け、変化や違いに、「えっ」と思いなさい。次にこれに対して逃げない。そして創ってみる。新しいものの見方を角度を変えて見よう。
 私は若いころ初めて2ヶ月間韓国に視察留学に行きました。大喧嘩した韓国人と初めて夜飯を食べに行った時、彼が鍋に自分の舐った箸を入れるのですね。「うあーなんという奴だ」と思いました。しかし取り箸がありません。しかし、ちょっと待てよ、どういう意味なんだろう。彼とまた大喧嘩して、やっと解り合えたのが、その韓国人が私のことを「お前の胆も食える」と云うのです。俺がお前に日本の悪さについて話ししたら、お前は俺に向かって「元寇の時のことを話して、さあ賠償しろ」と言っただろう。「お前はいい日本人だ。そういうお前と俺は友達だから俺は平気で箸を入れるのだ」と。なるほどなあ、韓国人とやる時は「よーしこれだ」と思いました。

◇経営ってなんですか
 私、学校経営とよく言うと「経営ってなんですか」とよく聞かれます。実は営という字は「火と火と屋根と、そして人々」なのです。つまり聖なる火と、皆の心の中心になる火と屋根があって人々が集まる所、それが営なのです。ですから経営、営内班なのです。経営の経とは縦糸です。「その心棒を立てて火が揺れないようにするのが経営なのです」、とお話をよくします。その様なことで営の字は軍隊と係わりがあるのだなと話しをしてます。
 最後に、アメリカのピーターソンという教育学者の言葉を紹介致し、終わらせて頂きます。「凡庸な教師はよく喋る」、「良い教師は解説する」、「優秀な教師は範をしめす」、「偉大な教師は子供の心に火を灯す」。
 御清聴有難う御座いました。





















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