王土会会報 第19号 (13.10.1)
目次

1、第39回王土会総会を開催
2、代表理事交代
3、武器・化学課長挨拶 1等陸柴田文夫
4、インターネット「自衛隊新たな体制へ移行」
   (1)基幹部隊の見直し
   (2)即応予備自衛官制度
 5、 会員の声・会員の近況
 6、 新入会員   訃報
 7、 事務局より
 8、 最近の装備品の紹介L

 ◎ 第39回王土会総会を開催
 去る5月24日、例年通り東京のグランドヒル市ヶ谷において第39回目の王土会総会が開催されました。
 これまでは金曜日の夜が定番でしたが、今年は会場の都合により木曜日の夜の開催となり、しかも生憎の天候不順と相まっての出足の変化が気になりましたが、124名の会員(内名誉会員28名)そして関東補給処副処長飯島陸将補他21名の現役自衛官の参加により、何時に変わらぬ盛況ぶりに役員一同ホッと胸を撫で下ろす一面もありました。
 会は定刻通り始まり、先ずはいつものように高木代表理事の挨拶に続いて前回の総会以降亡くなられた20名の方々のご冥福をお祈りして黙祷が捧げられました。
 引き続き高木代表理事から会の運営状況について左記のような説明がありました。
 「既に皆様ご承知の通り、自衛官の服務倫理規定の施行に伴い、現役サイドからの便宜供与の限度について検討せざるを得なくなりましたが、お陰様で武器化学課長をはじめ関係各位のご協力をいただき、許容限度の最大限を考慮し、補給統制本部火器車両部の支援をいただいて実務を継続するという段取りがつきましたことをご報告するとともに、皆様共々あらためて現職関係各位にお礼を申し上げたいと思います。
 次に、冒頭申し上げましたとおり、今年は第39回目の総会を迎えたわけでありますので、来年は第40ということであります。ということは、来年は40周年を迎えるわけでありますので、理事会としてはそれに相応しいような記念事業(事業という程の大袈裟なものではありませんが)が出来ないものかと考え出しております。
 どうか皆様のご協力を宜しくお願いいたします。」
 次に担当の瀬尾理事による会計報告が行われました。
  [収入の部]
    総 額 1,701,152円
      主な項目 前年度繰越金
           入会金及び年会費
  [支出の部]
    総 額   913,331円
      主な項目 通信費
           会報等の印刷代
           香典・弔電費
           事務運営費
  [来年度繰越金]
    総 額   787,831円
 引き続き、以上の結果による監査報告が、柚本理事から行われ、出席の全員からの拍手により承認が得られました。
 ここで、司会が松尾総括理事に代わり、左記のような役員の交代についての報告が行われるとともに、出席の全員からの承認が得られました。
 [代表理事]
   退 任   高木謙次氏
   新 任   新井光雄氏
 [理事]
   新 任   忰田登志男氏
   新 任   大屋敷博氏
 (新任の理事については、今後出来るだけ現役の負担を軽減し、我々のサイドで会の運営を待っていくための増員)
 (代表理事の退任、及び就任の挨拶は後掲)
 続いて、新入会員の紹介に入り、当日出席の13名の自己紹介とともに、昨年の総会以降の新入会員26名を代表して技術研究本部の陸上開発宮を最後に定年退官された林勝廣氏が「王土会の一年生です。今後とも宜しくご指導のほどお願いいたします。」と挨拶をされました。
 そして、最後には恒例の陸幕武器化学課長柴田1佐の挨拶(後掲)があり、総会は無事終了いたしました。
 引続いて行われた懇親会では、先ず葉阪 豊氏(昭和47年退官)の音頭で、「王土会の発展、会員の皆様の健康、そして陸上自衛隊の益々の発展」を祈念しての乾杯。
 いよいよ佳境にに入り、老いも若きも飲み且つ食べ、近況報告に、想い出話に止まるところ知らずの様相。
 熱気の籠もる内に予定の2時開もアッという間の出来事。
 お開きとともに三々五々家路につく中にも早くも来年の40周年記念総会を待ち望む声もちらほら聞こえてくるようでした。
第39回王土会総会会場の
               雰囲気を味わって下さい







































   ◎ 代表理事が交代
 平成5年2月の第31回総会で朝枝俊勝氏から引き継いだ高木謙次氏は、以来8年3ヶ月の長きににわたり王土会の代表理事としてその職務を全うされましたが、やはりあまり長くその職に止まってはいけない、後進に道を譲らねばとのご判断からこの度退任されることとなりました。
 高木氏は、氏の代表理事就任直前から王土会も年会費の徴収となったことに対し、千円といえども年会費を徴収するからには、年1回の総会のみでは済まされない、何か会員の皆様に還元できるものは無いものかと思案され続けてこられました。
 その一つとして、何とか継続的に会員の皆様に会員相互の情報、或いは自衛隊の近況などを提供しようではないかとの思いから、年2回の会報の発行を提案され、それが平成5年4月の第2号から今日の第19号と続いてきた所以でもあります。
 その他、王土会オリジナルのタイピンセットの頒布についても積極的に推進され、これまでに600セットはど頒布し、可成りの成果を見ております。
 また、総会においても、自分は理事の代表であるとの思いから、常に先頭に立ち、自ら総会の進行を引き受けるとともに、個々の細部についても気を配り、円滑な会の運営に努力されてこられました。
 王土会は会員のみでの運営が困難であり、どうしても武器科現役自衛官の協力無くしては成り立たないところですが、最近の自衛官の服務倫理規定の適用など難しい局面に直面されながらも、高木氏の陸幕等関係部署との調整により、王土会の運営基盤を確たるものとされました。
 改めて氏のご功績に対し会員の皆様共々感謝申し上げますとともに今後とも王土会への助言を宜しくお願い申し上げます。
 なお、後任には新井光雄氏が就任されました。    (松尾理事)

 [代表理事 新井光雄氏の略歴]
  防大2期生、平成4年3月武器補給処長を最後に退官、
  現在、リコーエレメックス株式会社勤務

 ★ 退任の挨拶
          高木謙次
 39回総会の席上で代表理事辞任が了承され、理事を退くことになりました。私、代表理事就任以来賜りました皆様のご支援とご指導に対しあつくお礼申し上げます。
 特に在任間十条支処の組織改編、公務員倫理強化等王土会事務運営に多大な影響を及ぼす環境の変化がありましたが、その都度関係各位のご理解とご協力を頂いて解決し、王土会の運営維持が出来ましたことを深く感謝いたします。
 陸上自衛隊の部隊組織の現状からは、職種の色が薄れてきた感があり、部隊を訪問された会員からも「武器はどこに行ったのかと思いました」との所見も聞かれます。確かに武器を冠する部隊は無くなり、整備、補給といった機能別に組織されるようになりました。
 しかし、陸上自衛隊は職種制度を廃止してはいません。それは補給、整備機能を果たすためには、それぞれの職種別の教育によって育成された専門技能に精通した隊員が必要ですし、専門職域についての絶えざる調査研究も必要だからでしよう。従って、武器整備、補給支援に任ずる隊員にとって、職種はやはり故郷的存在として意識されていくものと思われます。
 皆様のご多幸とご健康、そして王土会の益々の発展と今後変わらぬご厚誼をお願いして、代表理事退任のご挨拶とさせていただきます。
 有り難うございました。

 ★ 就任の挨拶
          新井 光雄
 この度、高木代表理事の後を受けて王土会の代表理事を拝命いたしました。身に余る重責でありますが、理事の方々及び会員の皆様の御支援、御協力を頂き微力ですが全力を尽くして頑張っていきたいと思います。
 王土会の目的は、会員相互の親睦が主でありますので、会員の皆様の御意見や御要望を反映させて会を運営して行きたいと考えております。御協力の程、宜しくお願いいたします。
 終わりに、王土会の発展のために専心努力致す所存でありますので、御指導、御鞭撻を宜しくお願い申し上げます。

◎ 総会における武器化学課長の挨拶
   陸幕武器化学課長
          一等陸佐 柴田文夫
 昨年夏の定期異動で安井前課長の後を継ぎまして就任いたしました柴田でございます。
 王土会会員の皆様宜しくお願いいたします。
 先ず、このように多くの皆様がご出席になり、王土会総会が盛大に執り行われましたことに心からお祝い申し上げます。
 また、先はど代表理事交代に関する議案が全会一致で可決され、王土会の歴史に新しい一ページを加えられましたことは、これまた喜ばしいことと思います。
 高木前代表理事には、この王土会の揺るぎない組織への発展にご尽力をされたことに敬意を表しますとともに、現役の一員として感謝申し上げたいと思います。
 それではあまり時間もございませんが、昨年の総会以降に変化のありましたことにつき2、3お話をしたいと思います。
 先ずその1つは、今年の1月に陸幕長が交代をされたことです。
 磯島陸幕長が勇退をされ、後任に中部方面総監から中谷陸将(防大10期)が着任されました。
 特色は、陸幕の防衛課長をやられた後、着任までの約8年間部隊で勤務をされていたということで、大変よく部隊の実状を把握されて我々を指導しておられます。
 従って、部隊を良くするためにどうしたら良いかという視点で陸幕の施策を打って頂いておりますが、当然その中には、我々が携わっている武器の補給整備のことも入るわけでして、我々も緊張感を保ちながら、生き甲斐を感じて仕事をさせていただいております。
 2つ目は、長官の交代であります。ご承知のとおり、4月に小泉内閣が発足して、防衛庁長官に中谷衆議院議員が就任されました。
 中谷長官は防大の24期の卒業で、2等陸尉まで自衛官として勤務をされております。従って防衛政策に長けているのは勿論ですが、我々の苦労とか、実状を大変良く承知をしていろいろと発言をしていただいておりますので我々としても大変心強い長官が着任をされたということで、現職自衛官の人たちの士気は大変高いと感じております。
 我々も長官の脚を引っ張ることなくしっかりと補佐をしていかなければならないと感じている次第です。
 3つ目ですが、今年の3月に陸上自衛隊の組織改編が行われた中で、3つの大きな部隊が関係いたしますのでご紹介いたします。
 1つは、12師団の旅団化です。
 既に、13師団が旅団化されておりますので2つ目の旅団化ということですが、13師団と違って後方支援隊の中に武器隊というのが無くなりました。12後方支援連隊武器大隊は廃止され、12後方支援隊の中には整備中隊が2つ出来まして、その中の大部分は武器職種の入たちが活躍するわけですが、名前としては武器という言葉が無くなつて、整備中隊という組織に変わりました。
 2つ目は、これまでの学校とか陸幕の研究開発部門を集めて、研究本部というものが朝霞駐屯地に出来ました。
 このため、武器学校の研究部からも定員30名ほどの中から20名が組み入れられ、陸上自衛隊全体の研究開発に携わるということになりました。学校から見ますと研究部が10名に減ったという形になります。
 3つ目は北海道補給処の改編です。
 今までは武器部とか通信部という物別の組織でしたが、今度の北海道補給処は基本的には3つの部で、装備計画部、補給部、整備部
となり、装備計画部の中に武器課というものが出来ておりますが、部としてはここでも武器という名称が無くなりました。
 このように組織が変更されてきますと「何となく武器が寂しいな」というイメージをOBの方々にはもたれるかもしれませんが、我々現役は逆に、補給処の改編にしても中心は武器であるわけでして、装備計画部そのものが武器を中心として動くということになると北海道補給処全体が武器を中心に動くであろうと我々は力強く感じております。
 OBの方々には、これからも我々現役の尻をしっかりと叩きながらアドバイスをしていただきたいと思います。宜しくお願いをいたします。
 重ねて、王土会の今後の益々のご発展をお祈りして簡単ではありますがご挨拶とさせていただきます。

  ◎ インターネット
 王土会の皆様には益々ご健勝に、或いはそれなりにご活躍のことと存じます。
 今回は、自衛隊の昨今の改編状況について簡単にお知らせしたいと思います。
 内容は防衛白書12年版を抜粋したものです。
 さて、此の原稿を書いている時点では、小泉首相の登場により、政治問題がワイドショーでも取り上げられるほど身近に語られるようになつてきました。また、首相の靖国神社参拝問題や教科書問題からみの中国、韓国との国交関係険悪化問題で騒がれています。
 いずれも避けては通れない問題です。戦後問題はそろそろ決着をつけてもらいたいものです。
 私は、隣の国とは仲が悪いのは世界の常識で、それほど気にするものではない。共生の道はお互いの国の歴史や文化を認め合うことが国交問題解決の原点だと思うのですが。
 そう言うことも踏まえて、「自衛隊の新たな体制への移行」を読んで頂ければ幸いです。
       久光理事

 ☆
自衛隊の新たな体制ヘの移行

 1、基幹部隊の見直しなど(参照・表1)
 防衛庁は、防衛大綱に定められた体制へ移行するため、次のような基幹部隊の見直しを行う。このうち、中期防で計画していたものは、本年度未(12年度未)に達成の見込みである。
(1)陸上自衛隊
 従来の18体制を抜本的に見直し、体制をコンパクトにするとともに、防衛力を質的に向上し、我が国に対する武力攻撃及び多様な事態に有効に対応し得る態勢にする。
 そのために、防衛大綱では、13個師団・2個混成団などを基幹とする18万態勢から、9個師団(機甲師団を含む)・6個旅団(※1)などを基幹とする16万人(即応予備自衛官1.5万人を含む)の体制(※2)に移行するとしている。
 中期防期間においては、5個師団を改編する。このうち2個については旅団に改編し、そのうち1個を空中機動性を高めた旅団とする。また、改編した師団及び旅団のそれぞれについて、その一部の部隊を即応自衛官を主体として編成する。これらの政編を通じ、中期防期間末において17.2万人程度(即応予備自衛官5千人程度を含む)の体制となる。
(2)海上自衛隊
 防衛大綱では、護衛艦部隊のうち、地方隊の10個護衛隊を7個護衛隊にする。2個掃海隊群ある掃海部隊を1個掃海隊群に集約する。
 陸上哨戒機部隊を16個航空隊から13個航空隊にするとしている。
 中期防期間中に、前記護衛隊を8個護衛隊にするとともに、掃海部隊、陸上哨戒機部隊については移行を完了する。陸上哨戒機部隊について具体的に述べれば、固定翼哨戒機の一個航空隊を廃止するとともに、固定翼哨戒機部隊及び陸上回転翼哨戒機部隊(※3)のうちそれぞれ1個航空隊を、搭乗員を専門に養成するための教育部隊とする。このほか、潜水艦部隊には中期防期間中に教育部隊を新編する。
(3)航空自衛隊
 防衛大綱では、航空警戒管制部隊を28個警戒群から8個警戒群と20個警戒隊(※4)の体制にするとしている。
 中期防期問中に、2個方面隊の警戒群の一部を警戒隊に改編する。また、要撃戦闘機部隊については、10個飛行隊から9個飛行隊にするとしており、中期防期間中に移行を完了する。
(4)統合幕僚会議の機能の充実など
 防衛大綱では、自衛隊の任務を迅速且つ効率的に遂行するため、統合幕僚会議の機能を充実させるなどして、各自衛隊の統合的且つ有機的な運用に配慮するとし、中期防では必要な措置を講じるとしている。
 平成10年4月に防衛庁設置法などが一部改正(昨年3月施行)され、出動時(※5)以外の場合でも、自衛隊の統合運用が必要なとき(※6)には、統合幕僚会議が長官を補佐できるようになった。  
(注)
 ※1旅団は地域の特性などに応じて普通科部隊と、これを支援する特科、機甲科、施設科、輸送科などの部隊からなる。地域的にも期間的にも独立して作戦する能力を持っているが、師団と比べると規模も小さく能力も限定されている。
    (師団・約6千〜9千人、旅団約3千〜4千人)
 ※2他国との距離、政治経済の中枢に有るかなどといった地理的条件に応じて重要な地域などに師団を、これに準ずる地域などに旅団を配置する。これは、どの方面においても侵略事態の当初から、防衛行動を速やかに、また効果的に行うためである。
 ※3陸上の基地に配置されているへリコプター都隊
 ※4警戒群の規模を縮小した部隊
 ※5防衛出動時及び治安出動時
 ※62つ以上の自衛隊が、以下の行動などを命ぜられるか、又は予測される場合で長官が必要と認める場合
  *海上における警備行動
  *災害派遣・地震防災派遣
  *国際緊急援助活動など
  *国際平和協力業務の実施など
  *在外邦人等の輸送
  *「周辺事態安全確保法」の規定する対応措置など
2、即応予備自衛官制度 (参照・表2
(1)即応予備自衛官の意義
 防衛大綱では、平素から部隊を効率的に保持するとともに事態の推移に円滑に対応し得る弾力性を保つとしている。このため、陸上自衛隊の一部の部隊を新たに即応性の高い予備自衛官を主体とする編成とした。
 即応予備自衛官は、常時勤務する自衛官(常備自衛官)(※1)とともに陸上自衛隊の編成の一員として運用し得るよう、即応予備自衛官には、予備自衛官よりも高い練度と即応性が要求される。
(二)即応予備自衛官制度の概要
 即応予備自衛官は、自衛隊が防衛出動や治安出動、又は災害派遣などを行う際(※2)に、命令によって招集された場合には、あらかじめ指定されている部隊で自衛官として勤務する。具体的な運用は次の通りである。
@部隊の編成に当たり、例えば、師団などの4個普通科連隊のうち1個連隊及び此の連隊に協同(※3)する特科などの各職種(※4)の部隊を、即応予備自衛官を主体として編成する。
A防衛出動時において、此の部隊は、作戦地域における後方の陣地の守備、前方部隊の予備などに運用する。また、治安出動、災害派遣などにおいては、常備自衛官からなる部隊と同様の任務に当たる事が出来る。
B此の運用を踏まえ、中隊などが、最小限、基本的な戦術行動を行えるように、練度を維持する。このため、即応予備自衛官を年間30日の訓練に従事させる。
 (注)
 ※1これに対して、予備自衛官、即応予備自衛官は、通常別の職業に就いており、防衛招集等を受けて出頭した時に自衛官となる。
 ※2事態が緊迫し、防衛出動命令、治安出動命令が発せられることが予測される場合を含む。
 ※3ある目的を達成するために、指揮関係のない2つ以上の部隊が相互に協力すること。
 ※4作戦・戦闘において機能的に果たすべき役割に応じて区分されたもの。
  一般的に、此の職種ごとに基本的な教育訓練や人事管理を行う。
 参考までに、12年度に実施された第12師団の旅団への改編を簡単に要約してみました。参考にして下さい。 (参照・表3)

  ◎会員の声

  ★ 徒然思うこと
     (三重県磯部町 池田正夫)
 この10年間、伊勢神宮の近くに移り住んで自然と親しくして参りました。しかし、釣りとか船遊びも中退して最近は専ら「考えるこ
と」を楽しみにしております。何時でも何処でも何事にも無限の広がりがあり夢があります。
 小さなことでも実現するよう努めています。近くまた東京に舞い戻ろうかと考えています。
 どうぞオールド会の皆々様益々お元気でお過ごし下さい。

       (埼玉県熊谷市 石山良橘〉
 現在77歳、早くも制服を脱いで27年、現役時代の23年より長くなってしまいました。人生80年とか。あと3年は、いや80歳に満たなかった人の分もと頑張っております。
 50歳定年後は縁合って埼玉県の道路公社に10年、その後はは公社時代に知り合った会社に請われて11年と、この21年は何の関連もなかった道路の維持管理が主体の仕事でしたが、楽しく勉強(人生体験)させていただきました。
 自由の身となり、県の生きがい大学熊谷学園に1年、次いで市の真実大学に1年、更に県生きがい大学東松山学園に2年とボケ防止と仲間作りと大学のハシゴをやり、今は大学OB会活動の一環として、園芸、ダンス、パソコンを、趣味として詩吟等を頭の体操、体の体操で健康管理に努め、80歳に満たなかった方の分もと望んでいるところです。
 これも70歳の時、77歳までは生きなければと云ったところ「そんなのでは駄目だもう一つ上のランクを狙わなくては」と云われましたので望みを掛けている次第です。

        (茨城県つくば市 上野武夫)
 定年退職後30年近く。
 最近は先輩、同僚から後輩に至る知人の訃報に接することが年に何回かあり、やるせない気持ちにさせられます。
 仕事は65歳で全て終わり、以後14年の間、専ら同年代のグループに入り、ダンス、カラオケ、民謡、詩吟、コーラス、太極拳、健康老人体操、大正琴と1週間始ど毎日遊んで過ごしております。特に、グループの大半は女性で占められており、精神的にも楽しみが大きいようです。
 幸い足も腰も異常なく、耳が少し遠く、物忘れで時々大騒ぎする事もありますが、当分の間現状で行けそうです。 元気で行こう。
       (愛媛県松前町 門田芳男)
 この会報で旧知の方々の近況を知り、懐かしく昔日の事などを想起しています。
 私は関処の企画室で定年を迎え、翌日から公害調査の仕事に就いて京阪神地域を主に東奔西走していましたが、父母の老後を看るため帰郷し、松山で東レ(株)専属の小さな会社を経営してきました。時間を作っては未経験の分野の開拓に努めていたところ、心筋梗塞に襲われた上、開腹手術のおまけが付いて療養生活までしました。衛後5年半を経て、漸く体調が復元しましたので、社会の一隅を照らすべく園芸と囲碁を友として送日しています。
 循環器病の対処法をご参考までにと筆を取ってみましたが、紙面不足で中途半端に成ってしまいました。いずれにしても老人は健康管理が一番です。
 終わりに皆様の益々のご健勝を祈念いたします。

       (山口県小野田市 北嶋 一孝)
 会報で諸兄の消息など懐かしく拝見させていただいています。
 小生、昭和52年退官後、高校教師を8年間勤めて定年退官。故郷に帰り中高生を相手に小さいながら私塾を開き、現在に至っております。
 今時の子供は易きにつきやすく、小成に甘んずる風潮があります。剛毅であってと願わずにおられません。
 この間、平成9年以来、農業者の団体である水利組合の理事長を務めています。
 ガットの農業合意による外国産米の輸入義務化、政府の生産調整、米価の低迷、また商社やスーパーが、人件費などコストの安い海外で栽培指導し輸入する「開発輸入」が農産物全般に亘り活発で農業は一層厳しくなっています。この状況下で農業活性化のため、利水・治水に万全を期するよう務めています。
 喜寿を迎え、体力は若い人にはかなわないが、だてに人生の年輪は重ねていないと自負しております。
 降圧剤を服用していますが、いたって元気です。
 終わりにあたり王土会の隆昌発展を祈念します。

        (仙台市泉区 工藤 光明)
 本年3月31日をもって第2の職場を雇用契約満了により退職しました。現在雇用保険受給中ですが、キャリアアップとボケ防止を兼ねてこの7月5日から9月4日までの予定でハローワーク斡旋による部外専門校の「OAビジネス科」に通修し、インターネット、ワード、エクセルの初級課程を修得中です。
 5月からの訓練校(6ケ月課程)を希望していましたが漸く今回の入所が叶いました。
 それにしても若年者の失業実態は大変なもので、前年度の希望繰越分を13年度1/四半期に入所させる状況で若い人たちの真剣な勉強ぶりに私も遊び半分の気持ちになれない状況で頑張っているところです。
 14年度は、また新しい出発を夢見て毎日楽しみながら受講し、且つ夕方には近くのスボーツジムに通ってリフレッシュしています。
      
        (愛知県美和町 津野瀬 光男)
 私は戦前、満州のチチハルでノモンハン事件など経験している内に陸軍技術本部付として東京へ帰還しました。その翌年には大東亜戦争が勃発したのですが、則松中佐のもとで開発に成功した一式機動47粍砲の取扱指導のため、台湾軍、沖縄軍へと巡回している内に終戦を迎えました。
 その後、岡山県警刑事部鑑識課に警察事務官として勤務していましたが、その間に警察予備隊の募集が始まり、それらの手助けをしている内に自分も予備隊に潜入していたのです。
 岡山で入隊すると、翌日には江田島(海軍兵学校跡)の米軍学校へ入校を命ぜられ、兵器修理課程を卒業と同時に山口県の小月訓練所に配属となりました。
 第1回の幹部登令の中には私の名前が入っておりましたが、間もなく帯広へと転属になり、あれよあれよと云っている内に久里浜に出来た総隊学校へ武器教官として派遣されました。
 それからの私の人生は実に目まぐるしく、土浦に武器学校が出来るとそちらの教官として転属。その後島松武器補給処、第302車両中整備中隊の中隊長を拝命。武器学校幹部高等学生と廻っている内に防衛庁技術研究本部へと、やっと落ち着いたのです。
 ところが小銃国産化の機運が高まってくると、現在使われている64式小銃開発へと私の人生も向きを変え、豊和工業からの強い要望もあり、退官、入社。火器の課長として開発に従事。遂に成功を見たのです。
 私はそんなことで60歳まで働いておりましたが、定年を迎えた後は何処にも就職せず一生を通して得た武器についての経験を記録に残し、あの世への準備を始めました。
 やっと84歳を迎えた今日、私は両足の股関節不調により身障者2級として松葉杖の生活に入りました。
 そんなことで皆様にお会いできないのが唯の心残りとなっておりますが、皆様どうかいつまでもお元気でお暮らし下さい。
 これまでの出版本は次の通りです。
 銃器・火薬実用事典  (狩猟界社発刊)
 幻の自動小銃(64式小銃)、幻の銃弾
 幻の機関銃(62式機関銃)、小火器読本
 銃器開発変遷史(以上 かや書房発刊)
 (付記、かや書房の社長は防大出身の石井和彦氏です。)

      (横浜市港南区 内藤益一郎)
 小泉内閣が誕生し、極めて高い支持率を維持すると共に国民の政治への関心が高まり、また、日本としてのあるべき其の姿を見直そうとする気運が芽生え始めたように感じられますが、このような現象が単に一時の熱狂現象で終わらずにこれが良い引金となって、多くの方面で振れを見せている現在の日本の姿を少しでも是正し、明るい日本の将来への転換期となることを願わずにはおられません。
実は、全陸軍甲種幹部候補生会(会長はいません)なるものが昨年10月に活動期間を10年と限定して発足し、小生は事務局を担当することになり、本年3月の文芸春秋の特大号に池部良氏が「幹部候補生会」なるエッセイを発表したこともあって全国からの問い合わせ等も逐次増加して、他のことに手を出せない位の忙しい日を送つています。
この会は、政治的、懐古主義釣なものではなく、私共が若い頃に召集され初級将校として勤務する中で、与えられた任務を客観的に判断し、純真な心で育んだ使命感・死生観で任務を遂行した事を矜持を以て思い起こし、良い日本の伝統と併せて何らかの形で後世に語り継ぐ絆となることが目的で、現在の捩れた日本を少しでも是正して、孫・曾孫の代へ移し、多くの亡き戦友の御遺志に報いたいと念ずるものの集まりです。

       (東京都葛飾区 廻開 芳雄)
 70歳まで会社勤務。2年休み。ついで同期生会事務局に勤務して5年。そろそろ交代と思った頃には人が居ない。いきおい続けざるを得ないでいます。
 健康も体力も何とかそれに堪えていることかも知れませんが。
 仕事そのものは会員同士の連絡・通報、毎月の連絡紙の発送、年に4回位のイベントの準備、実施の処理と他愛ないものが多いが何しろ会員全員が75歳を越えているとなると、誤りや齟齬も多く、平行することしばしば。案外に忙しい感じは否めない。何歳まで続けるのかが決心のしどころのようであります。 会員諸賢のご健闘を祈るや切なり。

          (熊本市 橋本 二郎)
 定年退職後26年。今年傘寿を迎えました。一部の人を除き会報を通じて僅かに在職間お世話になつた人々の消息を承知することができ、会報担当者の方々に感謝しています。
 65歳で司法書士の資格を取って開業し15年近くになります。退屈しないし、ボケないですみます。
 北海道で覚えて以来40年問スキーを続けています。70歳で日本スキー連盟準指導員の資格を取り、熊本レーシングスキークラブ会長〈会員70名)、熊本県スキー連盟参与として若い男女と一緒にスキーを楽しんでいます。北海道、本州、韓国などにも行きます。
 お陰で健康に不安はありません。小学生の孫達がスキー国体に出るまであと10年位滑りたいと思つています。
 日本会議熊本県理事、新しい歴史教科書を作る会熊本県支部参与としてもささやかながら努力しています。
 末筆ながら会員の皆様のご健勝ご多幸をお祈りします。       、

      (福岡市博多区 長谷川国美)
 博多の街は大河ドラマ「北条時宗」で数多くある元寇史跡が脚光を浴びています。  
 昭和38年竹下第4師団長は陸幕年度要望事項の一つ「防御基盤の育成」具現のため山ロ副師団長を編集総括者とし、従来の史実に基づき、司令部各部・課の職務に応じ、蒙古襲来時の彼我の編成・情報・作戦・兵略に関し軍事的考察をまとめ、本土防衛戦史「元寇」を発刊。当時の武器課長は坂本綱男2佐小生は同課運用幹部、与えられた研究命題は被我の装備武器、特に竹崎李長戦闘絵詞にある元軍火薬使用の鉄砲(震天雷)の構造、効力についてで、火薬製造の書籍購入、図書館でのにわか勉強したのが昨日のように思い出されます。1次2次の侵攻に対し、今津・博多の海岸で敢然と戦ったのは九州の守護地頭・御家人で、鎌倉武士ではなかったことを付記します。

       (福岡県筑紫野市 林田 重郎)
 私は昭和27年9月8日、当時の警察予備隊総隊学校(久里浜)の第14期生として入隊、同年11月卒業後は約6年間の陸幕武器課勤務を振り出しに、第5武器隊、武器教導隊、間に武器特修課程を挟み、武器学校教育部戦術科、第4武器隊、再び武器学校教育部戦術科、同じく研究部第1科と勤務し、九州地区補給処武器部4年間の勤務を最後に昭和50年7月1日退官、約23年に及ぶ自衛官生活に終止符を打ちました。
 この間、直接お仕えした上司の方々には勿論、そして部下の入たちにはその時に応じて格別の協力を頂いたことを折に振れ憩い出しては衷心より深く感謝申し上げており、ここに紙上をお借りしてあらためて厚く御礼申し上げます。
退官後は、入隊前、日野自動車にいた関係でもあり、運良く退官と同時に福岡日野自動車(株)に入社、約9年間勤務して定年退職その後約1年間は関係会社の要請もあって、同社の総括部門の体制整備のお手伝いをしたのち、次は陸士同期生の経営する福岡地場の中堅建設会社に約13年間勤務して、平成10年5月、同社を退職いたしましたが、これまで自分の意志で続けてきたとは云え、正直言って「ほっ」とした境地でした。
 ところが、退職するのを持っていたのかの様に、平成10年12月から翌11年の3月にかけて肺炎や胆のう炎で続けて3回も入院、
ついには胆のう全部を摘出手術を受ける有様でした。
 しかし、その後は健康も逐次快復し、平素は名所、古跡、民俗資料館、博物館などを巡っては昔を偲び先人に学び、景勝の地や名湯秘湯を訪れては、浩然の気を養い、心身を癒すなど、努めてゆっくりマイペースで過ごすようにしております。でも、趣味の写真、読書の他に旧軍時代の学校、所属部隊をはじめ、自衛隊や会社関係の行事も数多く、家にあっては庭木の剪定や除草作業、老妻の外出、通院、買い物などの時の送迎、付添、時には孫の学習塾への送り迎えなど、かなりの雑用がありますが、身を動かすことは健康の維持や気分転換に良いと思い積極的にこれを引き受け、毎日、結構忙しく立ち回っている状況です。
 なお、昨年5月からは、減量と体力維持の目的をもって、市の総合保健福祉センターのトレーニング健康測定室に通い、週2回を基準にエルゴメーター(床定置式負荷可変型自転車とでも云うようなもの)、トレッドミル(床定置式速度可変型ベルト回転歩行訓練器によるトレーニングを続けてきましたが、最近ではエルゴメーターは負荷70から73Wで1回40分、トレッドミルは速度時速5〜5.5kmで1回25分のトレーニングを楽にこなすようになり、機器に表示された走行歩行累計距離は、この7月半ばで約1350kmに達し、体重において約3.5kg減、体脂肪率4.5%向上、ウエスト廻りが6cmも細くなるなどの効果を上げていますので、今後も余暇を求めてこのトレーニングを続けたいと思っています。
 私も既に喜寿を過ぎていますが、お陰様で現在はこのように元気です。しかし、憩えば私がかっていろいろお世話になった上司、先輩、同僚、部下の方々で多くの方が既に故人になっておられ、本当に残念でなりません。
 ここにあらためてそれらの方々のご冥福を衰心よりお祈り申し上げ、また、ご健在の皆様には、益々ご健勝でご発展ご活躍の程を祈
念いたしまして、この稿を擱筆させていただきます。駄文乱筆をお許し下さい。

     (名古屋市中川区 山田茂登一)
 いろいろお骨折り頂き感謝いたしております。王土会会報をいただく度に御指導お世話になった方々、親しくお付き合いさせていただいた方々、苦楽を共にした方々、溌刺とした若い方々、等々昔日の制服当時を憩いだしています。
 いつの開にか名誉会員の仲間入りをし、小人閑居して不善をなすの毎日です。
 親身の御指導を賜った先輩の方々は大部分が逝かれ、共に机を並べた友の方々もボチボチと去って行かれ大変寂しく感じております。
 地方住まいのため、会合は不義理を重ね、まことに申し訳ありません。
 今後とも宜しくお願いいたします。

       (千葉県習志野市 猪狩 博玄)
 今更、今の世情に悲憤慷慨しても仕方がないが、自民党政治の弊害とでも云うべきか、政、官、経、産、医、数等々角界に蔓延している無責任体制は背筋にに寒さを覚える。
 不祥事を起こす度に「重く受け止め、二度と繰り返さないように務める」というが、単なるリップサービスに終わり、何ら変わらない。真に身を捨てて国家、国民に奉仕するような英雄の出現を政治家、特に総理に望むのは時代錯誤なのであろうか。
 何時も総会には欠席しており申し訳ありません。体調は完全無欠ではなく、所謂一病息災、日々健康維持に努めております。

  ◎ 会員の近況

       (茨城県土浦市 浅岡虎雄)
 定年退職後、早いもので15年になりました。年々進む体力の老化を防ぐため、毎日30分程度のジョギングとカラオケによる発声等を心がけています。
 現在のところ元気で過ごしております。
 今後とも会員皆様の御健康と王土会の益々のご発展をお祈りします。

        (札幌市豊平区 阿部力男)
 退官後20年、会報を通じての武器科の変貌には只々年輪を感じています。
 近況欄で懐かしい先輩の名前を見つけると当時の若く雄々しい面影が甦り、自分のハゲ頭と比較して一人微笑んでおります。

       (大分県別府市 上利勝正)
 昨年12月15日付で会社を退職し、現在パソコン教室で勉強中です。

       (埼玉県横山市 天方浩二)
 70歳になりましたが、週3日病院がよいをしております。
 町内会の囲碁同好会の会長、老人会の役員等を数年やっていますが、今後は更に日々を大事にしたいと思っております。
 会員の皆様の御健康と王土会の隆昌発展を祈念しております。

       (北海道恵庭市 池澤誓夫)
 中国料理店(紅蘭)を経営していますので店を空けることがなかなか出来ません。
 ご来道の折りは、空港から近いところにありますので、お立ち寄り下さい。
 王土会会報で先輩諸兄の名を拝見し、懐かしさで一杯です。

      (宮城県多賀城市 伊藤俊美)
 昨年2回の心筋梗塞により入院いたしました。目下のところ療養中です。

      (神奈川県小田原市 伊東邦彦)
 自治会副会長、老人会と神社の役員と忙しく飛び回る傍ら、陶芸に熱中しております。

       (東京都板橋区 稲見達之)
 目下のところ、アウトドアーはテニス、ゴルフを、インドアーはインターネットを楽しんでいます。

        (仙台市泉区 猪股 繁)
 昨年秋、半世紀振りに1武器創隊の地高田を訪れました。当時の馬小屋隊舎が未だに資材庫として健在でした。
26年12月越中島転勤までの短い期間でしたが、金谷でのスキー、妙高山への登山、野尻湖での水泳等、趣味のルーツを訪れる旅でもありました。

       (千葉県松戸市 岩瀬清一)
 加齢と共に新しい病と闘いつつあります。
 幸いにも昨年は米寿を迎えましたが、体力の低下で歩行が困難となりました。

    (神奈川県相模原市 大石哲朗)
 この数年来の私の持病(パーキンソン症候群)は特効薬の効き目が薄く、年と共に症状(歩行及び筆字困難)が少しづつ悪化し、最近では電車バスの乗降は勿論、近辺の歩行も家内の付添がなければ困難となりました。
 日下のところ手足の不自由さ以外は心身共に健全ですし、出来る限り車椅子の利用などは避けて、歩くことに努力している次第です。

     (北九州市小倉南区 岡村青一)
 遂に癌に罹り、只今格闘中です。

       (千葉県松戸市 大村定喜)
 80歳になりましたが、医薬に親しみながらも毎日短時間の軽作業を7年継続。アルバイトに精を出しております。
 皆様のご健勝を祈念しております。

     (北九州市八幡西区 織田武人)
 私もお陰様で第2の人生を元気に過ごしております。今の仕事(川崎重工業(株)も本年一杯で退職予定です。今後はボランティア活動を中心に益々元気に生き抜いていこうと張り切っております。
今後とも宜しくお願いいたします。

        (埼玉県桶川市 川原寅夫)
 足の機能喪失し、歩けず両手と尻で這い回っております。
 皆様の健康を祈ります。

        (静岡県浜松市 河合 保)
 小生、元気に老後を楽しんでいます。左眼は昨年5月白内障を手術し、視力は1.2になり、グリーンの芝目も良くわかるようになりました。今年は右目もオペする予定です。
 コンピューターはMac6400シリーズを操作しています。デジカメの写真を保存するために容量が不足し、120Mまで増設し、外付けタイプのハードディスクをスカジー端子で増設しています。
 ゴルフはハンディ28、毎月3〜4回のゴルフコンペを楽しんでいます。

       (茨城県つくば市 喜多英雄)
 会報を通じて、かっての友人。知人の消息の一部が知れて懐かしさに浸っています。
 間もなく古希を迎えますが、会員の年齢構成グラフを見ると、ほぼ中辺に位置しているようで、頑張らなくてはの気持を新たにしています。

        (千葉県松戸市 木村 敬)
 古希を迎え、町内会の仕事、頼まれパート、また昔に戻り趣味の写真、旅行等で残りの人生を送っております。
 会報の先輩方達の声、近況を読ませていただき、私もまだまだ頑張らなくてはと思っております。

        (茨城県土浦市 桐野勇藏)
 1月に胃を5分の4切除いたし、現在食事療養中で早く精気を戻さねばと頑張っています。体重も術前から10kgも痩せ落ち、一向に増える気配がありません。
 体重が落ちると力もなく、術後3ヶ月を迎えました。

        (仙台市青葉区 斎藤昭夫)
 現役時代、とりわけ青春時代を過ごした武器補給処、武器学校での勤務、そして武処の十条移転計画に当初より完了まで施設の整備担当として参画したことがまたとなき良い経験でした。
 諸先輩の方々のご発展をお祈りいたします。

      (福岡県久留米市 貞包貞悟)
 私、胃ガン手術から12年になりますが、今のところ何の変化もありません。
 ただ体重が手術直後から15kg軽くなったままですので、食べる量を少しづつ増やしておりますが、一向に反応がありません。
 もう81歳ですので寿命ですね。

       (宮城県名取市 佐藤省一)
 諸氏の近況楽しく、また我が身に比して一喜一憂しております。
 一病息災で78歳を生きております。
「遥かなるモスクワへの旅」楽しい旅行記でした。久光氏の筆力に敬服。

     (埼玉県さいたま市 志垣亮介)
 定年退職後早や25年近くなりますが退職後間もなく関節リュウマチと云う難病にかかり、日常の生活にはさほど不自由を感じませんが、歩行が困難のため遠出を控えさせていただいております。
 総会にも出席できませんが、会報による諸先輩方の消息が誠に懐かしく、会員の皆様の御健康と王土会の盛況発展をお祈りする次第です。

        (京都市南区 島田 巍)
 病妻の介護に明け暮れの8年。(パーキンソン病、介護保険 要介護5)
 小生、昨年9月「発作性上室性頻拍」の病名で心臓にカテーテル挿入、高周波処理手術を受け、無理をせぬよう自重しております。

        (仙台市泉区 鈴木柱治)
 第2の勤務先も昨年(69歳)無事終えて、今後の生活は地域の方々との繋がりを大切にして過ごしたいと思っています。

       (千葉県市川市 高橋 功)
 5年前、脳梗塞で倒れ、右半身不随になりましたが、お陰様で今日ではほぼ正常に快復しました。定年前に倒れましたので、もう一度社会復帰したいと努力した結果と思っています。
 この4月からは市の公民館の事務所に勤め、パソコンの講師やら図書の整理などの仕事に就くことが出来て頑張ってています。

     (北海道恵庭市 滝谷 進)
 胸を張って言える趣味はありませんが、季節を感じ、風を切り毎日1万歩、単純で案外効果のあるウォーキング実行中です。
 今年は旅仲間と沖縄の秘境(西表島、石垣島など)巡り旅立決定。楽しみにしています。

       (高知県香北町 武石 正)
 13年間続いたバルーン手術の効果も皆無となり、遂に今年2月心臓のカテーテルの結果、3月に心臓バイパスの手術を受けました。
 未だ身体は不自由ですが、そのうち次第に良くなると思います。

       (札幌市白石区 竹中 清)
 一昨年暮れ、体調をくずし、会社も退職して、治療に専念しております。

       (兵庫県加西南 谷淙之介)
 昨年6月顔面手術(悪性)を受け、現在リハビリ中です。
 皆様のご健康をお祈りいたしております。

       (長野県立科町 土屋正行)
 昨年3月に自転車で転倒し、頭を強打し、今もって医者通いをしています。

       (北海道恵庭市 土屋隆司)
 在隊中色々ご指導ご鞭撻を賜りました会員の皆様にはご無沙汰いたしております。
 私は皆様方の退職の便りを戴きますが、未だに乞われるまま現役を継続しております。
昭和一桁生まれは激動の時代に身に付いた仕事一筋の生き方は変わりません。
 定年後15年経過した今も建設資材の業界で頑張っております。
 年一度訪れる故郷の懐かしい景色を見ることを楽しみに過ごしております。

       (福岡県吉井町 鳥越勢二)
 退官して早や18年、その間60歳定年で退職祝い、68歳での退職祝いとそれぞれ宴を催してもらい、それから古希祝いをしてもらって急に歳を取った気持ちになっています。

       (静岡県沼津市 戸田潤二)
 過去2年間、自治会の防災部長、組長と続けてやらされました。終わってホッと一息ついたところです。
 3月に老人対象のパソコン教室に3日間行きました。マウスの矢印を見つめ過ぎたせいか目き悪くしました。
 パソコン希望の方、ご用心下さい。

     (東京都八王子南 中込 悟)
 8年前に脳梗塞で倒れまして、以後後遺症のため療養しています。言語障害はないのですが、左手足麻痺の車椅子生活です。
 一時、肺炎にて重体でしたが、死期を脱して今は小康状態です。

       (東京都中野区 中谷 直)
 上咽喉癌の薬病以来5年目を迎え、転移防止に努力しております。

      (千葉県我孫子南 長屋二郎)
 昨年5月に我孫子に転居し楽しく過ごしています。
 憲法改正、教科書問題、高等教育システム等、心配なことが多く、更に10年は生きて、日本の将来を見届けていきたいと頑張ってい
ます。
       (北海道千歳市 平野 清)
 久光理事の紀行文『遥かなるモスクワへの道』、本当に楽しく、また、迫力に満ちた内容で感激しました。
 私も今年古希を迎えますが、まだまだボケてはいられない気持ちにさせられました。

       (茨城県友部町 藤田廣作)
 いつもきめ細やかな会報、懐かしく拝見いたしております。在職当時お世話になりました上司並びに先輩の方々の近況に接し、あらためてご指導下された当時を追憶し、今日ある自分を思い、ありがたく思う日々です。
 現在は町役場に収入役として町のために頑張っております。(武校OB)

       (茨城県阿見町 藤井光春)
 相変わらず73式大型トラックのサービスで北へ南へと出かけております。

        (千葉市美浜区 藤田誠也)
 右肩骨折で治療中につき総会を欠席させていただきます。
 今年3月、撮影旅行中に山で転落し、右肩骨折とあちこち打撲、快復に半年かかると医者から脅かされています。
 趣味や遊びも年相応にしないとえらい目に逢うという教訓です。

       (福島県大信村 藤垣 学)
 相変わらず元気で暮らしています。
 今年は25年振りに大分弾薬支処の行事に参加し、帰りに出雲大社に参拝し、無事金婚式を迎えられるよう祈願してきます。

      (東京都西東京市 古田陸彦)
 愈々老境に入り、体調万全でない日が多くなりましたが、元気でおります。

      (京都市右京区 三田村幹男)
 ご無沙汰いたしております。
 読書、ざる碁、軽い運動、講演聴講、時折の旅行等々、京の都を拠点に全く気ままに打ち過ごしております。
 第40回総会には参加させていただこうと思っております。

      (北海道北広島市 水口 茂)
  下萌に  鼻面押して 駒食める
 北の大地に遅い春が訪れました。春泥の道にウエスを投入し、タイヤのパンクを修理しつつ、2泊3日の帯広〜島松通いが懐かしい。
 装備の近代化は結構ですが、師団が旅団に、武器部が消える昨今の自衛隊。これで良いのか寂しくなります。
まだ供与車両当時の頭かも知れませんが。

        (仙台市泉区 村越行雄)
 4月から来年3月までの予定で園芸学園に入学しました。青空の下、時には風雨に曝されても楽しく野菜、野草、果樹、花木、樹木
について学んでいます。
 お陰様にて元気で過ごしております。

       (熊本県鹿本町 森本修二)
 久光理事の「遥かなるモスクワへの道」の一紀行文を、50年前の事どもを思い出しながら興味深く読ませていただきました。
 カザン〜エラブカなど、多くの戦友が極寒と飢えにさいなまれながら、悲嘆の涙を流しつつ命絶えていった事どもを想起し、憩い出の地名を悲しみと共に懐かしく思い出しました。
 今は亡き友の慰霊の心を捧げながら、靖国の社を遥拝しつつ。

     (仙台市宮城野区 柳沼栄三郎)
 85歳になりましたが、老人クラブ会長で頑張っています。

       (石川県金沢市 山岸留男)
 私も心臓の右側の動脈がつまっており、今年3月、バイパスを3本移植する手術を受け、現在入院加療中です。
     (東京都世田谷区 山口朝男)
 警察予備隊時代に鹿屋・松本で普通科4年勤務の後、武器科に転じ、調本4年、北海道の武器隊・弾薬支処で4年、武処4年、武校2年勤務し、再び北処2年、最後は調本の鎌倉駐在官事務所で定年となり、引き続き、ダイキン工業、リコー(株)等で勤務させていただき、その後は72歳で心筋梗塞、74歳で一過性の脳梗塞を経験し、現在は79歳ですが、どういうものか後遺症もなく、足もしっかりしていますので、世田谷に居住していることもあり、新宿や渋谷のデパート見物に出かけたり、靖国神社に参拝した時は近くの市ヶ谷グランドヒルでの食事が楽しめますのでよく利用しています。
 勉強は本来性に合わないので、ボケない程度の読書位で、出来る限りのんびりの老後を送っています。

      (北海道千歳市 渡辺宇喜雄)
 昨年、古希を迎えました。一路老境に向かってまっしぐらです。この進行を何とか鈍化させようと、アウトドアースポーツなどに取り組んでいるところです。しかし、この中でちょっと調子に乗って無理なことをやれば、たちまちそれは倍加する不調箇所が、身体のあちこちに表れ、その手当に追われていることが多い昨今です。これも年相応のことを行えという天からの戒めかも知れません。

 ★ 新入会員
    『どうか宜しくお願いいたします』
川西  勝(補統本) 林 勝廣(技 本)
竹内 貞志(北 処) 成毛 嘉伸(武 校)
近藤 憲夫(東北処) 穴井 晃(補統本)
姉崎 賢治(東北武)

 ★訃   報
     『心からお悔やみ申し上げます』
河部堅蔵(北富士)[10. . ]
池田幸男(十条)[12.5.27]
田上松男(  )[12.6. ]
手塚一成(空幕)[12.7.10]
鍛冶辰市(陸幕)[12.9.5]
桐澤 淳(空自補)[12.9.9]
倉持正一(陸幕)[12.12.13]
辻本文一(武校)[12.12.22]
井野 茂(武処)[12.12.24]
美能治雄(13武)[12.12.27]
中尾 勉(九処》[13.1.6]
佐藤三夫(6武)[13.1.31]
三谷敏夫(武処)[13.2.24]
増子徳男(輸校)[13.3.1]
大橋靖雄(武処)[13.5.3]
鎌田忠俊(大分支)[13.8.9]
小笠常雄(北処)[13.8.14]

  ◎ 事務局より
 総会の記事で紹介しましたとおり、王土会の役員のうち代表理事の交代等の変動がありましたので、全役員をあらためて紹介いたします。(注・◇印は昨年、☆印は本年就任)
代表理事☆新井光雄(平成4年退官)
総括理事 久光禧敬(平成5年退官)
理 事  松尾 昭(昭和54年退官)
  々  馬渡義明(平成元年退官)
  々  瀬尾一彦(平成7年退官)
  々  澤田和明(平成8年退官)
  々  田中敏勝(平成9年退官)
  々 ◇柚本計悟(平成10年退官)
  々 ☆忰田登志男(平成10年退官)
理 事 ☆大屋敷博(平成13年退官)

  ◎ 編 集 後 記
 「新しい歴史教科書をつくる会」主導の教科書が問題になっていますが、8月20日発売の米誌ニューズウィークは中国やタイなどア
ジア諸国の歴史教科書を点検する記事を掲載し、日本と同様に各国とも自国に都合の悪い事実を無視したり書き換えたりしていると報じています。
 中国は文化大革命での死者が3千万〜4千万に上ったこと、インドネシアではスハルト元大統領が政権に就いた直後に約50万人が虐殺されたこと、タイでは70年代に起きた2度の軍事クーデターで学生指導者が虐殺されたことなどの記述がほとんどないと指摘。
 我が会報では、会員皆様の生の声をこれからも出来るだけ多くお伝えすることを最大の努力目標としなければと思っております。
 宜しくお願いいたします。  (担当 馬渡)
最近の装備品の紹介L
軽対戦車誘導弾
     性能緒元
       全   長  850mm
       重   量   15kg
       誘導方式 画像誘導
       その他  掩蓋内射撃可
     製作  川崎重工業(株)
     備考  平成14年度から普通科部隊に装備

      
重装甲機動車
     性能緒元
       乗車人員 4名
       全   長 約4.5m以下
       全   幅 約2.0m以下
       全   高 約1.9m以下
       重   量 4.5t以下
       最高速度 約100km/h以下
       武   装 5.56mm機関銃搭載可能
       空 輸 性   有り
       制   作 (株)小松製作所
       備考:平成14年度から普通科部隊に装備
         

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