王土会会報 第17号 (12.10.1)
目次

1、王土会定期総会無事終了
2、ご挨拶(定期総会時)武器化学課長 1等陸佐 安井 剛
3、着任のご挨拶 武器化学課長 1等陸佐 柴田文夫
4、インターネット
5、会員の近況
6、新入会員
7、訃報
8、防衛庁移転完了
9、最近の装備品の紹介G
  ◎ 王土会定期総会無事終了
 数えて38回目の定期総会が今年も東京のグランドヒル市ヶ谷において、去る5月19日の夜開催されました。
 出席者数
  会 員  126名 (内、名誉会員22名)
  現職自衛官 31名 (小田宮武器学校長、安井武器化学課長他)
 先ず、昨年の総会以降に亡くなられた15名の会員に対し、生前のお姿を偲び、ご冥福を祈りつつ黙祷が捧げられました。
 次いで、高木代表理事による下記のような会の運営状況に関する報告がありました。

1、会員数 1,037名 (内、新入会員23名)
2、会の運営については、これまで会員のご協力、また現職自衛官のご支援により支障無く行われてきたが、今年の4月から新しく施行された公務員倫理法(自衛官の場合は自衛官倫理法)により、王土会としては、これまで現職自衛官から受けていた事務支援等についての対応がクローズアップされてきている。
 このため、3年ほど前に十条支処の改廃により、事務局の設置を種々検討した時と同じように、再度関係各位と検討を行い早急に結論を出すこととしている。
 
 会計報告(担当瀬尾理事)
  収入の部
    総額 2,175,842円
     主な項目 前年度繰越
     入会金及び年会費
     名簿代
     タイピンの売上
  支出の部
    総額 1,303,909円
     主な項目 通信費
     会報等の印刷費
     香典・弔電費
     事務運営費
     名簿作成・配布費
  来年度繰越金
    総額 871,933円

  監査報告(担当田中理事)
 上の会計報告に対し、厳正な監査の結果、異常のないことを確認した旨の報告があった。

  会則の一部改正
  先に述べたとおり、公務員倫理法により現職自衛官の各種会ヘの関わりが問題視されている現状から、当面、王土会としての姿勢を示す意味をもって、検討結果が得られるまでの間、会則第4条を削除し、空白のままとする。
 以上に関し、報告の都度、出席者全員から同意の拍手をいただき承認された。
 また、下記の理事の交代についても承認をいただいた。
  退任 稲見達之理事(本人のご都合)
  新任 柚本計悟理事
 更に、新入会員23名(当日出席者6名の紹介があり、代表して土井義尚氏が「これまでは王土会の大先輩を遥か下から見上げておりましたが、この度新入会員として入れていただきましたことを非常に嬉しく思っております。どうか宜しくお願いいたします。」
との挨拶がありました。
 そして最後に、定例となっている陸幕武器化学課長の挨拶(後掲)があり、定例総会は無事終了し、引き続き懇親会に入りました。
 懇親会々場は、いつもながらの名誉会員の椅子席を中心に、居住県別のテーブルを囲み、会員、現役自衛官が一つになつて和気あいあい、昔の思い出話、近況報告など晩春の宵の暮れゆくのも忘れ、年に一度の楽しい一時を過ごしておりました。
 また来年も元気な笑顔での再会が実現するよう、健康には十分に留意されんことを祈念して総会の報告を終わります。(馬 渡)

  ご挨拶(定例総会における)
      武器化学課長    一等陸佐 安 井 剛
 武器化学課長を拝命し、1年6ヶ月になろうとしております。
 昨年の王土会の総会に出席しました折に、冒頭のご挨拶で「お招きをいただきまして有り難うございました。」と申し上げたわけですが、今年、会則をよくよく見てみますと、現職の武器化学課長は自動的に王土会の特別顧問になるということになっておりまして、これには出なければならない義務と出ることのできる権利があるわけでして、お招きいただいたのではなくて、出てこなければならないと云うことで、今年は「有り難うございます」と言うことを省こうと思っております。
 なぜこういうことを申しますかと言いますと、皆様既にご承知かと思いますが、後方支援態勢が改革をされております。
 今年の3月に北方武器隊を基幹といたします部隊が北方後方支援隊に、第7後方支援連隊もそれぞれ改編されまして部隊が職種固有部隊から機能別部隊に改編されました。
 将来は武器科の固有部隊が無くなっていきます。武器固有の名称が残るのは武器学校とそれから特別不発弾処理隊、これは武器固有の部隊であります。従いまして、私は我々組織の力の根源は職種というふうに考えておりますので、今私どもに課せられた課題は、今後職種の求心力をどうやって集めるか、職種の力をどうやって高めるかということが最大の問題と考えております。
 従いまして、この王土会、即ち職種を通じての集まりは極めて重要であると考えます。
 OBの方を含め、現役も同じでございますが、職種を共にするそれぞれの求心力を何とかして今後考えていかなければならないと思っておりますので、今後益々皆様方にご援助いただくことが多々あろうかと思います。どうか宜しくお願いいたします。
 私は、今は特別顧問でありますが、現役でも希望をすれば特別会員になれることになっておるようでありますので、今の職が終わりましたならば、今度は特別会員として入会させていただこうかと考えております。その節は宜しくお願いいたします。
さて、此の連休に防衛庁が六本木から市ヶ谷に移りました。
これまでと違って、入門手続きに若干時間がかかるようでありますが、係りが慣れてまいりましたならこれまで同様気軽に出入りができるようになると思います。
 武器化学課はA棟の2階にあります。建物の正面玄関を入りますとホールになっておりますが、ホールの中央に階段があります。
 その階段を上がっていただいた真っ正面が武器化学課で、位置的には非常に入りやすい場所にあります。
 どうか防衛庁へお越しの節はお立ち寄り頂ければ幸いに存じます。
 新しい庁舎での皆様への対応を如何にすべきか、課内で調整いたしまして、仕事の話は応接ブースがありますので、そこでさせていただくこととし、その他のお話はこれまで同様、各班長の席等でやらせていただくことといたしました。
 階段を上がりまして右側の所に総括班と私の部屋がありますので、どうぞ中にお入りいただいていろいろなお話を聞かせて頂ければ幸いです。
 武器科の今後の将来のために、武器科の求心力を高めるために私ども努力をいたします。
 王土会の皆様方から引き続きご支援いただけるようにお願いいたしましてご挨拶に代えさせていただきます。
 どうも有り難うございました。

 ◎ 安井課長、北方装備部長へご栄転
 五月の総会で前掲のようなご挨拶をいただいた武器・化学課長の安井剛1佐は、6月30日付で北方総監部装備部長にご栄転されました。
 皆様ご承知のように、公務員倫理法などによる部外者との関わりに厳しい制限が課せられる中にあって、安井課長は王土会の存在意義に深いご理解を示され、その発展に大いに寄与されました。
 ここに会員各位と共に深甚の謝意を表すると共に、新任地での益々のご活躍を祈念いたしたいと思います。
 なお、後任には、武器学校の教育部長から柴田文夫1佐(防大17期)が着任され、下記に掲載のご挨拶をいただきましたので、ご紹介いたします。

 ◎ 着任のご挨拶  
    武器化学課長 1等陸佐 柴田文夫
 今年の夏は、一段と暑い日々が続きましたが、王土会の皆様におかれましては、この暑さを克服され、益々ご健勝でご活躍のこととお慶び申し上げます。
 早速ですが、私は、6月30日付で武器学校教育部長の職を解かれ、安井1佐の後任として陸幕武器・化学課長を拝命しました柴田1佐と申します。ヘ武器学校教育部長在職間は皆様方の温かいご教示により、無事に勤め上げることができましたことに、この場をお借りして御礼申し上げます。ありがとうございました。
 さて、陸上自衛隊の大改革。中でも後方支援体制の改革が進む困難な中、武器科職種にとっても重要な時期であり、武器・化学課長としての責任の重大さを。痛感しております。
 私で大丈夫だろうかという不安がありますが、王土会所属の諸先輩方の教えと、現職の皆様のご指導とご協力を得て、微力ではありますが先輩方が築いて来られた武器科に対する信頼と実力を汚すことのないよう、更には少しでも武器科が発展するよう、精一杯努力して参りたいと思います。今までも王土会とは機会あるごとにお付き合いをさせて頂いておりましたが、従前にも増して深いお付き合いをさせて頂くことになると思います。よろしくお願いいたします。
王土会の益々のご発展を祈念し、簡単ではありますが着任のご挨拶とさせていただきます。

 ◎ インターネット
 今回のインターネットは、趣をがらりと変えて、時間は出来てもなかなか海外まではと云われる方のために、遠くロシアはモスクワまでの旅にご案内したいと思います。
ご案内役は久光祷敬理事です。
 さすが8千キロの旅ですので、次回と2回にわたってのご案内です。ごゆっくりとお楽しみ下さい。
☆ 遥かなるモスクワへの道
(副題)北京〜ウランバートル〜モスクワ
  7,865Km列車の旅

 ◎会員の近況
 近頃は誠に嘆かわしい世の中になってきましたが、我々の子供等の教育が悪かったのでしょうか。敗戦後の教育を考えざるを得ません。小生も既に83半ばを過ぎ、段々と歩行も困難になってきました。
 会員各位の健康を祈っております。
     (小平市 青野櫻一郎)

 早いもので定年後14年になります。健康維持のため出来る限り身体を動かすように努めておりますので、お陰様で現在も元気で過ごしております。
 会員皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。
      (土浦市 浅岡虎雄)

 予定どおり昨年4月手術を受けました。左股関節は人工股関節となり生活上の制約も多くなりましたが、それなりの成果は得られたと思っております。目下リハビリを継続中ですが、違和感が減少したら、また遠出も出来るようになるだろうと期待しております。
      (塩尻市 麻田雅夫)

 地元の町内会の方々との交流と趣味の尺八の行事を楽しんでおります。
      (牛久市 荒海 巌)

 蒲生町社会福祉協議会の事務局長に就任して2年目に入りました。介護保険から外れた自立者であるお年寄りを相手にデイサービス ホームヘルプ事業で頑張っています。
      (鹿児島県蒲生町 有村穆尚)

 病気(心臓病)で毎日寝てばかりです。
      (川越市 安藤貞治)

 会報を見るたびに元第105武器大隊を去られた先輩諸兄の名が出てきます。本当に懐かしく想っております。
 私、退官後21年、今は中華料理に全力投入しております。調理人の気持ちが一寸解ってきた気がします。
 この春、方面武器隊の廃止記念会食があり、一抹の寂しさを感じました。この時多くの旧友との出合を楽しみにしていましたが?
 会報での皆様の近況を楽しみにしております。
      (恵庭市 池沢誓夫)

 四年前、ボランティアをやろうとアコーデイオンを習い始め、努力の結果やっと3年目の昨年から老人ホーム等で、下手ながら一生懸命、唱歌や懐メロを弾いて喜ばれ、自分に現在の生き甲斐を掴みかけています。
   (北海道北広島市 池田儀彦)

 名簿の上から嘗ての上司、同僚が消えていくのは誠に寂しい限りですが、斯く云う私自身もその線上にあるかと思うと感無量です。
 私は昨年82歳となりましたが、外面的には一応健康体、内面的にはガタ少々。毎日の時間潰しには中国語の勉強です。数年前、某協会の中国語能力検定試験3級を受験し、「筆記」は合格、「ヒヤリング」は不合格、総合で不合格と判定されました。
 皆様お元気で。
(札幌市 池本治郎)

 此の数年間、糖尿病に加え、心筋梗塞、狭心症、脳梗塞と名前だけ聞くとオドロオドロしい病気を重ね、夜間のおつき合いは自粛しております。心臓は3本バイパスをしましたが、右冠動脈は直後に血栓が再閉塞、脳梗塞は軽度の構音障害に止まり、何とか生命は取り留めました。
      (茨城県阿見町 池田啓祐)

 地域社会の役職を受け、ボランティアに努めており、又、生き甲斐大学などと云うところで新しい仲間作りとボケ防止に励んでおります。
      (熊谷市 石山良橘)

 最近、陶芸クラブに通っています。土いじりをしていると童心に帰ったようで無我夢中です。
      (小田原市 伊東邦彦)

 会報懐かしく拝見させていただきました。
 物故された方々に心からお悔やみ申し上げます。それぞれ想い出の尽きない方々です。
 又、会報で近況をお知らせいただいた方々、1人1人思い出します。勤務は武校、補給処、方面(九州)が主でしたが、よく思い出してその時の情景を描いています。
 アイディアの豊かな人、コツコツ研究されていた方、思慮深かった方、ご一緒に土浦の街をほっついて歩いた方、想い出は尽きませんね。
 近頃、午前、午後に約1時間散歩を続けていますが、家族が心配して、とうとうステッキをつくことにしました。格好付けて、気取って歩くのも姿勢が良くなっていいものでは?と思ったりしています。85歳以上になったら是非おやりになる事をお奨めします。私もやっとその歳になりましたので。
      (八王子市 今村喜典)
 平成7年12月に桂支処にて退官。小松製作所にて元気に勤務しております。
      (呉市 岩木繁機)

 ご無沙汰いたしております。
「王土会」懐かしい響きのする言葉ですね。
 小生、2年来狭心症で通院以外閉じ篭もりっきり、かてて加えて家内が骨折の後遺症で寝たきり(介護5)になり、何とか命を長らえている状況です。
      (野田市 有働敬介)

 小生、持病(パーキンソン症候群)のため手足の状況は相変わらずです。手足以外は健康ですので、古典同好会や囲碁クラブ等への出席の他、出来る限り毎日近辺を散歩することに努めています。
      (相模原市 大石哲朗)

 会報を拝見するたびに昔のことが懐かしく思い出されます。時計の針はあの壮年時代へと逆戻り。
 そして加齢。今は眼鏡を掛けているのも忘れて、「何処へ置いたかな…』とブツブツ言って探し回っている。
 楽年爺さんの我、物忘れ等々……これって痴呆症の前兆かな……。心機一転、「定年わっはっは」で行くぞ。
 陶芸の青写真も出来たし、簡易窯を作って一日も早く実現に漕ぎ着けたい。此の道の達人がおられましたならご助言を賜りたい。
    (岩手県大野村 大杉榮二)

 入隊して半世紀、退官して19年。歳月の流れは早いものです。お陰様で体調も良く、なんとか頑張つています。
     (松阪市 大西静也)

 医薬に親しみながらも毎日アルバイトで短時間働いております。会報で皆様の近況を知ることを楽しみにしております。
    (松戸市 大村定喜)

 喜寿を迎えました。年相応ながら元気で過ごしています。
    (豊中市 大村孝三郎)

 退官してから23年、第2の職場を退いてから8年になりますが、幸運にも健康に恵まれて、毎日楽しく過ごしています。
      (岡山市 大山 寛)
 昨年、現職(ビル管理)を退職いたしました。本年から自由の身となり、旅行等に行く予定でしたが、人生は思うようにならないもので、体不調のため臥床養生に努めています。
(最近、快癒に向かいつつあります。)
      (北九州市 岡村青一)

 西都市には日本一の西都原古墳群があり、約2百万人の観光客を魅了しています。
 また、約2千本の満開の桜と約30万本の菜の花が咲き誇り、美を競っております。
 郷土芸能の神楽祭りや観光リゾート地へ一度ご来県下さい。
  和   歌「山ざくら」
  敷島の大和心を人問はば
 朝日に匂う山ざくら花
      (西都市 緒方正敬)

 生まれ育った故郷、対馬にUターンして20年が過ぎました。過疎の島、西境の島ながら海の幸、山の幸、自然環境の華に恵まれ、奉仕活動に専念いたしております。
 健康に過ごしておりますが、東京は遠くなりました。皆様に宜しく。
  穏やかな 余生に感謝 喜寿の坂  以和緒
   (長崎県厳原町 小川 巌)

 昨年までは自治会役員、体育指導員として頑張っておりましたが、今年からは少しづつ自分のための時間作りをしたいと思っています。
   (相模原市 尾西哲治)

 皆様からのお便りを拝見しては懐かしさで一杯になります。
 今年は是非出席したいと待望しておりましたところ、年始より体調を崩して入院しまして、2月には退院しました。その後回復して今では元気になりましたが、暫く静養しなくてはと思っております。
   (東京都中野区 加治 勇)

 私、平成5年以来、両膝人工関節の身障者ですが、町内会や老人会のため頑張っています。
    (千歳市 鎌田 昭)

 健康に留意し、晴耕雨読を真似して、晴れの日はゴルフに魚釣り、雨の日はパソコンを動かしていますが、白内障にて5月17日に近在の病院で手術を予定しています。
 視力が回復し、船釣りの浮子の当たりもとれ、ゴルフのスコアも良くなればと楽しみにしています。
      (浜松市 河合 保)

 足のシビレがひどく歩行にも困難を感じます。水中歩行は楽なのでスイミング通いを続けています。
      (桶川市 川原寅夫)

 北海道からの春便りは23年振りの有珠山噴火となりました。
 花のお江戸はまさに桜の花吹雪。当方は火山灰の粉吹雪、風の流れに乗って天を駆けめぐっています。大きな被害が発生しないよう祈るばかりです。
      (恵庭市 菊池 正)

 世相は将来への不安を与え、不況感とも相まって意気消沈さえ見受けられます。現状より脱却し活力ある社会に一日も早くありたいものです。
 幸いにも中・高校生と接する機会もあり語り合うことを楽しみにしています。
      (小野田市 北鳴一孝)

 久能カントリー倶楽部で悪戦苦闘しておりす。
    (八千代市 北村繁光)

 元気でのんきにやっております。 皆様の近況を見るのが楽しみです。
 私は、百姓仕事も止めて、絵を描いたり、藤沢周平氏の小説を読んだり、遊び心だけで終わりの人生を楽しんで居ます。
 皆様の健康とご発展を祈ります。
      (倉敷市 児玉源八)

 「喜寿」を迎えました。賞味期限切れで、死亡適齢期の宣告でしょう。
 二病息災」ですが、合気道に、また歩け会で毎日1万5千歩のウォーキングに励んでいます。寅さん流に、人生楽しみや、それでいいと思っている昨今です。
       (土浦市 佐伯 博)

 毎回最近の装備品等に関する情報等を拝見し、武器技術の発展に目を見張っています。
 小生、現在は年なりの日々を心がけており、若干の科学技術関係の翻訳を手掛ける以外はのんびりと暮らすように努めております。
 週2回の卓球を年相応に楽しみ、年寄り仲間で週1回英会話を楽しむのが毎週の行事となっております。
   (所沢市 榊 博)

 一病息災で喜寿を迎えました。漸く高齢者の仲間入りした心境になり、納得しております。
 諸先輩をはじめ皆様のご健勝をお祈りします。
  (名取市 佐藤省一)

 お陰で達者です。ゲートボールやグランドゴルフを楽しみながら頑張っています。
 85歳になりましたが、まだまだ頑張りたいものです。
 会員皆様のご健勝を祈ります。
   (滋賀県山東町 澤頭辰雄)

 勤務を辞めてから1年、毎日が日曜日の日々。好きな読書などで過ごしております。
 いろいろな勤務地(土浦、東京、山形など)での想い出は懐かしいものです。
   (町田市 塩尻徳寿)

 後方職種の改編は効率化(陸自全般のコンパクト化)の為とは云え、淋しさを感じます。
 「武器科精神」は是非忘れずに継承して欲しいものです。
   (西宮市 塩根正夫)

 何時も科学情報をお知らせいただき感謝いたしております。馬齢を加え、頭もぼけ、身体も衰えて来ましたので残念ながら総会は欠席します。但し、会報を拝見して先輩の今村喜典さん、同期の菅、在塚、駒沢君、武処等でお世話になりました。また、次の方々の名前を見て大変懐かしく想います。北、村周郎氏、国方辰男氏、廻間芳雄氏、四元信義氏、 澤頭辰雄氏、竹林富造氏、飯窪誠氏、矢崎源七氏。
 王土会の益々の発展を九州の地よりお祈りしております。
       (宮崎市』志津野嘉民)

 会報有り難く拝見しております。
 本年11月で80歳になります。家内(要介護4)の病状不変。介護の明け暮れです。
     (京都市南区 島田  巍)

 総会に出席し、諸兄の方々とお会いし、忘れかけた想い出話をして昔日の想い出を新しくしたいのですが、昨年末自動車事故で左顔面と下肢を激突して、今は午前中医者通い。
 間もなく快復とと信じておりますので、来年は宜しくお願いします。
  (厚木市 清水奠男)

 退職後2年5ヶ月を過ぎたところですが、多くの人々のお世話により元気で毎日充実した生活を送っております。
  (岡山市 下村督徳)

 昭和53年に退官して22年になりました。第2の職場(東京海上火災)等で約12年、京都隊友会長の6年半のボランティア活動も70歳で退き、ここ5年はのんびり過ごしております。
 退官後、一度は王土会に出席したいと思っておりましたが、老齢で難しくなりました。
      (京都府八幡市 白井新一)

 会報を楽しく読ませていただきました。
 特に、会員からのお便りは懐かしく拝見しました。
 予備隊は越中島、保安隊は松戸、そして自衛隊では霞ケ浦、吉井、最後に十条支処で12年と私も勤務させて貰いました。しかし、今は、腰と左脚不良により歩行困難となり総会にも出席できず残念です。
     (土浦市 杉本政四郎)

 私も満82歳となり、何かと不具合な面が多く出てまいりましたが、お陰様で胃を3分の2切除(一昨年)した以外は元気に過ごしております。その間柱駐屯地から平成9年に感謝状(昭和29年駐屯地取得による)、平成11年には中方武器隊OB会から感謝状
(初代OB会長担当)、同年旧制中学(愛知一中OB会)から顕彰の集を受けたりしました。残念ながら国からは何の音沙汰も在りません。
     (高槻市 鈴木秀臣)

 生涯現役時代の到来と自分に一言い聞かせ、歳を忘れて町の文化財保護協会や老人クラブ連合会、ゲートボール等の会長を引き受け、毎日忙しく立ち働いています。
  (香川県詫間町 田尾寿男)

 1武器、12武器在籍時には度々十条でお世話になったものですが、もう30年以上も昔のこととなりました。一度今の姿を見たいと思う今日この頃です。
 王土会の発展を祈ります。
  (横須賀市 高橋 寛)

 古希を迎えて会社を退職しました。
 今は若者との断絶感、得体の知れない寂蓼感は少々。
 サークルの一部に参加、小畑に身近な豊かさを求め、花や野菜つくりなど、満開の花や、多収穫の野菜を夢見て頑張っています。
 夫婦二人暮らし。
     (恵庭市 滝谷 進)

 第2の職場として塩釜港運送(株)に入社以来20年6ヶ月を勤め、本年3月にリタイヤしました。
 体力気力共に未だ充分余裕がありましたが、丁度良い潮時。今後は晴耕雨読、地域社会に貢献したいと思っております。
 王土会の益々の発展を祈ります。
     (宮城県富谷町 武田吉巳)

 九州の田舎に流れ着いてご無沙汰ばかりいたしております。(定着して3年経ちました)
最近は、インターネットという便利な代物でお陰様にて仕事にも見放されずにマイぺースでやらせていただいております。
 今年一杯は弾薬業務の「外野のタマ拾い」に専念する予定です。
     (大分県杵築市 田中 浩)

 王土会が益々発展している状況は同慶の至りです。
 あと1〜2年現役(建設会社の代表取締役)を退くことが難しく、その間は総会にも参加できそうにありません。
 身体は概ね健康で、仕事も楽しくやっております。
      (兵庫県加西市 谷 涼之介)

 胃癌手術後4年になります。再発等もなく無事に過ごしております。
  (大分市 谷口 猛)

 昨年はたまたま海外留学のため初めて総会を欠席、今回も生憎オーストラリアへ留学しますので続けての欠席で残念です。
 在隊25年間全て弾火薬、退職後13年間弾薬会社勤務、全く変わった人生でした。
 仕事を止めてから7年、弾も遠くなりまして、今は時々外国留学へ出る位、それもこゝ1、2年で終わりになるでしよう。
 やはり、古希を越すと身体に自身がなくなります。
  (東京都北区 津田昭三)

 定年後14年、建設骨材の業界で過ごしております。不況の波にもまれ、業界の再編と改革が求められております。持ち前のアイデイアを駆使し、苦慮していますが、業界の明日に向かって頑張ります。
 自衛隊と無縁の世界なのでやりやすい面も在ります。
  (恵庭市 土屋隆司)

 元気で近隣散策、ビデオ撮り、PC編集等に明け暮れております。
     (横浜市神奈川区 勉)

 昨年の6月以来、完全無職となりましたが、町内会のお世話もあったり、遊び友達が多くなったりで結構元気で忙しくしております。
     (岡山市 長尾 澄)

 3武器大隊長に女性の2佐着任される。
 時代は確かに変わりつつあることを武器隊のOB会に出席して痛感。メカニック。メンテナンスのハードの世界に心理学的に、繊細にして心和む此の人事は硬軟両様の強靭な組織作りかも知れない。  しからば我々男性のOBは如何にあるべきか。オーデナンスの精神を心に秘めて、これからの在るべき姿に向かって生きようではないか。
 将来、武器という名称が無くなって、整備に統一されるとか、何か個性を喪失する感なきにしもあらず。これも時代の変遷か。
 人生春秋に富む。まさしく此の通りと痛感しました。以上駄弁。
     (岐阜県穂積町 長尾 登)

 会員の近況、懐かしく拝見。約80%の先輩方の知人が健在でご活躍、心強く感じました。
 小生も古希を過ぎておりますが、剣道の第一線で活躍しており、東京〜九州、沖縄へと飛び回っております。
      (姫路市 長野武大)

 76歳。若き頃の元気なし。
     (東京都中野区 新田俊男)

 最近、体力・気力の低下に歯止めを掛けたいと思案していますが、これと言った行動が伴っていませんので実効があまり頭かではなく、人並みの成人病を抱えながら、僅かにフォークダンスと速歩を頼みの綱に何となく過ごしています。
 会員諸氏の益々のご発展とご健勝を祈念申し上げます。
    (茨城県茎崎町 乗本茂美)

 小生は70の坂を越し、80の坂を目指し、焦らずゆっくりと進んでおります。
 警察予備隊、保安隊、自衛隊と3つの門をくぐり、退職後は第1、2、3の職場で退職自衛官という大きな看板を背に一生懸命頑張ってまいりましたが、2千年を節目に自適な生活に入りました。
 王土会の発展と会員皆様ご健勝を祈念いたします。
     (宮城県柴田町 迫 茂)

 とうとう3月末で80歳を迎えた。
 秦野も周辺の開発と共に、バス、乗用車、自転車の数量が急に増加し、窓から見ているだけで冷や汗が出る。これで事故が増えなければ不思議と云わざるを得ない。
 此の年輩で歩き廻るのはかえって他人に迷惑を掛けるのが精一杯、目眩も足のよろつきもあることだし、危険で皆様に迷惑を掛けることを考えると総会等ヘの参加は遠慮したほうが良いと判断しますので宜しくお願いいたします。
     (秦野市 畑 誠輝)

 右足が障害(身体障害等級六級)で3a短くなり、跛行リハビリしています。幸い心身には異常なしです。
    (日野市 羽田野登稔)

 平成10年10月、急性心筋梗塞で救急車。現在は1ヶ月に1回受診と毎日の朝夕に服薬。
一応元気です。 、
  (福岡県甘木市 林 文雄)

 武器学校を定年後1年3ヶ月。不況とリストラの荒波に揉まれながら民間人としての生活に漸く慣れて来ました。楽しく過ごそうと志、仕事も趣味も一生懸命です。健康だけは留意しております。
  (茨城県阿見町 林田和義)

 昨年2月、胆嚢摘出手術をいたしましたが、術後、割に順調に快復していますが、今でも時折傷の跡が痛むこともあり、無理はしないように注意しております。
  (筑紫野市 林田重郎)

 昭和41年の夏に発病した脳軟化症(脳溢血の軽い状況)で入院して以来、殆ど病状は落ち着いていましたが、平成の半ばに病状が悪化し、本年3月に身体障害等級2級に進行して、歩行も困難となり、色々の催しにも参加できない状態となりました。しかしながら81歳を迎えることが出来て、不幸中の幸いと感謝しています。
  (浦安市 原田敏彦)

 退官より26年、病気で第2の人生リタイヤより11年。医薬のお陰で縁切れない療養を続け余生を送っております。
 王土会会報、会員情報、新装備品の紹介等懐かしく楽しく拝見いたしております。特に装備品の進歩に驚き、師団武器課時代の装備品の補給担当を思い出しております。
  (岐阜市 広瀬一明)

 お陰様で神奈川同期生会(56期)の世話人は下番いたしました。
6月上旬には偕行社で戦地の体験談(中国の湘桂作戦の兵站事項について)をお話しする機会を得ました。
     (横浜市南区 福田義敏)

 相変わらず元気で経営コンサルタントをしています。
 今年は、警察予備隊に入隊(昭和25年)してから丁度50年目に当たる節目の年でありますので、当時居た信州松本あたりを旅してみたいと思っております。
  (福島県大信村 藤垣 学)

 五月の連休から7月頃まで、九州の故郷に帰ります。約15年振りですが、先祖の墓参りと九州の山野をたっぷりとカメラに収めるのが目的です。
     (千葉市美浜区 藤田誠也)

小生、間もなく83歳となりますが、幸い健康に恵まれ、老妻ともに元気でおります。
 王土会は数年来顔を出しておりませんが、若い方々に交代していただく年代と考えてのこと、他意はありません。
 最近の会報は唯一の情報源として有り難く存じております。
      (保谷市 古田陸彦)

 昨年7月、国立小山高専名誉教授の称号を、12月には愛知県警本部長から無事故無違反15年以上の表彰を頂戴しました。
 これからも「任務の完遂」「安全運転」をモットーとしつつ、日々精進していきたいと決意を新たにしております。
 現在、愛知工科大学学生部長をつとめております。
  (蒲郡市 前田利昭)
 会報拝受。各位のお名前を見て暫し昭和30年代武器学校研究員時代にタイムスリップ。皆々若々しく、カーキ色のジャンパー制服、校庭でのソフトボールの一コマ、笑顔が思い出されました。
  (仙台市泉区 三上元郎)

 王土会会報で沢山の先輩方の懐かしいお名前と近況を拝し、元警察予備隊員は感慨も一入、思わず古きを尋ねております。
 まだまだ頑張りましよう。
     (京都市右京区 三田村幹男)

  着水の鴨の水輪に山ゆるる
 支笏湖畔を想い出して下さい。
 私も今年から年金生活と古希を迎えます。
 永い間お会いしていない方、特に見習幹部で着任した5武器の方々とは随分疎遠になっています。
 知床旅情を歌って夜を過ごした道東旅行を今年はしたいと思っています。
   (北海道北広島市 水口 茂)

 3度目の職務、職場を目標に職業訓練校で老体に鞭を打ち、若者と共に知識技能の向上に元気で励んでおリます。
  (仙台市泉区 村越行雄)

 リウマチで入院中、字も良く書けなくなりました。
 あまりの激痛に耐えかねて、近くの病院に入院、ステロイド剤のプレドニン点滴、錠剤等で痛みと闘っています。ご無沙汰して済みません。
 皆様方のご健康を心からお祈り致します。
  (熊本市 本山篤行)

 小生、自衛隊を退官後3度目の勤務で頑張っております、定年がないので元気な内は勤務できます。王土会の総会は現在の会社をリタイヤしたら行きたいと思っております。
 皆様お元気で頑張って下さい。
  (八戸市 盛 英)

 平穏に過ごしております。第7期海軍飛行機整備予備学生第12分隊の同期会「コンタクトの会」(コンタクトとは、当時の戦闘機は重量軽減のため手動の起動でその合図がコンタクトです)の最後の解散総会が5月に開催されます。以後は老後を静穏に過ごそうと云う主旨です。出来ればその主旨に従い王土
会の方も退会したいと思っています。
  (和歌山市 森迫春夫)

 小生、喘息の発作は止まりましたが、煙草の煙に弱く、多くの方が集まられる場所への出席は失礼させていただいております。
 茨城県民大学に通い、勉強を続けています。
    (茨城県阿見町 安廣行正)

 元気で暮らしています。
 会社設立から17年、生き残るために頑張ってきましたがそろそろ息子にバトンタッチして気楽に暮らしていこうかと思っていまr。
  (札幌市南区 山形賢作)

 総会にご出席の皆様おめでとうございます。出席出来ない方も問題点を改善し出席できるように努めましよう。
 生活習慣病の虜になって飲酒どころの話ではありません。あと5〜6年もたてば少しは良くなると思って治療に頑張っております。
  (御殿場市 山下 等)

 武処霞ヶ浦より九州に転居して早40年弱、定年退官後26年、すっかり田舎者。
 たまに上京しても駅構内その他も変貌して、上野の西郷さんも見つからずじまい。
 10年前、「我が青春大陸を征く(関東軍最後の現役戦車兵97式中戦車と大陸に生きる)」、続いて「我が人生を語る」と自分史。また、「日本刀を科学する」ど題して鍛造作刀研究、併わせて鍛造の基礎知識等をまとめる(武校の機械工作課程受講参考)
 70歳にして自動車修理の作業服を脱ぎ、専ら鶏の餌やり、野菜作り、無心で草むしり6年続く。
 旧軍の各戦友会は逐次終焉したが、新入会員の王土会の益々の発展と各位のご健康を祈ります。
    (佐賀県上峰町 山田伊佐男)

 膝痛、胃痛等でガタがきていますが、元気で過ごしております。
    (裾野市 横江正敏)

 自衛隊満期退職後約19年。色々とボケ防止のため勤めましたが、益々元気で70歳を迎え、もう少し頑張ります。
  (京都市伏見区 横田敏朗)
 月4万円で出発した減額退職年金は今もって生活の柱となっています。厚年・年金基金は単独での受給です。3本建で、年金100%の生活です。
  人の世を生き生かさるる目刺焼
 反骨に生き、ご迷惑をお掛けしましたが、顧みて悔いなしです。
  (鳴門市 吉枝直樹)

 退官して早や8年が過ぎました。
 元気に過ごしております。仕事は前と同じ職場です。一昨年、遅ればせながらパソコンを購入、かねてからの趣味の囲碁のインターネット通信囲碁対局を楽しんでおります。
 休日は碁会所通い、まさに囲碁三昧というところでしょうか。
 通信囲碁対局について関心のある方ご紹介しますのでご連絡下さい。とても割安で出来ます。
     (仙台市宮城野区 吉村克己)

 退職して19年、古希の年を迎え、薬を飲みながら、何とか趣味(詩吟、気功、釣り、パーゴルフ)やボランティアなどで頑張っています。
 皆様のご健康をお祈りいたします。
  (恵庭市 鷲見清一)

 このところテニス好きのオバサン達の格好なカモとして、練習ゲームに誘われ、足をふらつかせながらも毎日楽しくボールを追いかけております。その結果は推して知るべしですが、お陰で無聊を囲むことなく過ごしております。
     (千歳市 渡邊宇喜雄)

◎ 一会員の想い出の記
 昭和43年4月某日未明、生田の自宅に突然けたたましい電話のべルが鳴る。発動機工場が火災で、その第一報の緊急電話連絡である。私はとるものも取り敢えず小田急線一番電車で急遽十條駐屯地に向かう。
 火は駐屯地消防隊の手によって既に消火されていたが工場内の水浸しの現場を見て、た呆然と立ちすくむ、工場事務所の一部が半焼しているが、大した事態に至っていないと判断して一安堵する。後は隊員を指揮しての後始末である。
 駐屯地司令に報告を終わって、隊員を全員集めて原因追究、調査に当たる。
 営内の隊員には放火をするようなそんな不心得な隊員が居るはずはない、とすれば考えられるのは矢張り工場裏隣にある某国生徒の侵入放火ではないかと判断される。その証拠にくっきりと塀をよじ登ったと見られる五足の足跡を発見し、その旨警務隊に報告する。
 午前中はあれゆこれやで頭を抱えての仕事であった。
 午後になって、霞ヶ浦補給処の副処長松山陸将補以下5名の事故調査班が来処され、ウソ発見器までの使用など厳格な厳しい調査を受けること丸3日に及んだ。
 当初は工場長以下幹部への怨恨説に重点を置いての調査である。(私達が主張する裏隣の学校生の件は部外でもあるし黙認である)
 部下隊員、職員を調べれば調べるほど工場長以下の幹部の非難、悪く云う者皆無で、却ってこれほど部下隊員を懇切に、且つ親密に指導掌握している人物はいない、全く感心する、見上げたものだとの調査官の褒め言葉が出るほどで、私は「禍転じて福となす」と言うことはこのようなことではないかと面目を施した次第であった。
 しかし、放火による火災が発生したことは事実であり誠に残念である。今もって原因が判らないまま今日まで到っているのは実に心残りの極みである。    (終わり)
 第4武器中隊長から特に乞われて会計監査隊西武方面分遣隊に転属、その後市ヶ谷の東部方面会計監査隊に転属、その間管内は勿論のこと仙台、熊本、伊丹等にまで足を延ばして監査続行し、自衛隊生活20年の内、13年が監査暮らしであった。
 定年まで後2年、最後は矢張り古巣の武器科に帰りたい願望が強く、先輩上司に願い出る。幸い願い叶って十傑発動機工場長の拝命を受けた。先輩上司に誠に感謝している。
 定年退職して既に32年を経過。82歳の老境にあり、今は体内にへルスメーカーを埋め込み身体障害者1級の生活を余儀なくされている。私の自分史編纂文の中から想い出の文章を記させていただいた。
  (川崎市多摩区 木下里二)

☆ 新入会員
「どうか宜しくお願いいたします。」
太田 康敬(反町支) 田原 明彦(技 本)
藤井 勲(武 校) 今井 克己(高射校)
遠藤 紘明(武 校) 新上 義昭(西方総)
近藤 昭雄(武 校) 吉田 盛秀(北方総)
阿保 文敏(関処桂) 鯨井 敏光(白老支)
土井 義尚(補統本) 山下 文雄(補統本)

 ★ 訃 報
「心からお悔やみ申し上げます。」
河野 敬敏(西方総)[8.8.8]
小林 憲二(武 校)[11.4.14]
田中 勝博(武 処)[11.9.3]
熊谷 七郎(東北武)[11.11.23]
矢野 至誠(伊丹業)、[11.12.22]
池田 幸義(富野支)[12.2.20]
古賀 一夫(武 校)[12.4.23]
隅田 英一(武 校)[12.7.20]

 ◎ 編 集 後 記
 一部の不心得者の行いが大きな波紋を広げ、今や、現役自衛官とOBとの絆も絶ち切られんとしているこの現状を大いに憂い、より一層緊密な繋がりを維持していくために、この会報がその大役の一助になることを切に願いつつ締めくくりとします。      (馬 渡)

防衛庁が桧町から市ヶ谷駐屯地へ移転完了


 防衛庁(内局、統幕、陸海空の幕僚監部、調本、防衛施設庁等)は本年5月の連休明けに、東京都港区の桧町駐屯地から市ヶ谷駐屯地への移転を完了し、新庁舎での業務を開始した。
 市ヶ谷駐屯地は、周囲の建物の高層化の中にあって、その台地上の広々とした構内に,様々な日本の歴史を物語る旧陸軍士官学校の本館を中心とした落ち着いたたたずまいを見せていたが、その様相を一変し、上の写真に見られるような近代的な高層建築群が立ち並ぶ駐屯地に生まれ変わった。
 正門を入り、受付で入門手続きを行うと、直ぐに訪問先に対し入門の可否の電話確認が行われる。
これまでのように、入門証を書いてバッチを受領し、すーっと入るようなわけにはいかないようだ。漸く、手続きが終わり、中にはいると正門から各庁舎が立ち並ぶ台上へは、屋外エスカレータが設置されており容易に台上の人となることが出来る。
 目指す庁舎はどれかと探し、漸く陸幕のあるA棟の玄関を入ると、「どうぞこちらへと」金属探知
器のゲートを潜らされ、更に受付で訪問先を問われる。そしてここの受付でもあらためて訪問先の担当者に電話で確認するという念の入れよう。ほとほと驚くと共に、担当者も電話のべルに仕事に手が着かないのではと心配にもなる。
 駐屯地の西側に位置する庁舎B棟の西隣には、歴史に彩られた旧陸軍士官学校本館の玄関、時計台を含む正面部分がそのまま記念館として保存され、毎日訪れる来訪者に対する観光コースに組み込まれているようである。
(庁舎案内)
 A棟 :地上19階、地下4階 内局、統幕、陸海空の各幕僚監部(陸幕は1階から5階を使用)
 B棟 :地上10階、地下4階 各自衛隊の通信関係部隊
 C棟 :地上9階、地下4階 情報本部、各自衛隊の資料隊
 D棟 :地上10階、地下1階 内局の一部、防衛施設庁、技術研究本部、調達実施本部
 E棟 :地上 1O階、地下1階 各自衛隊の業務隊、陸自の会計隊、会計監査隊、印刷補給隊等

最近の装備品の紹介G

新小型観測ヘリコプター OH−1

性能諸元
乗 員 2人
 機 体
  全 幅 約3m
  全 長 約13m
  全 高 約3.6m
  製 作 川崎重工
 エンジン
  名 称 XT 1―10
  出 力 864SHP×2
  製 作 三菱重工
 全備重量  約3.500kg
 最大速度 約260km/h
 行動半径 約200km
備 考
陸上自衛隊の観測ヘリコプタ=0H-6Dの後継機。純国産機として平成4年から開発に着手、8年8月、初飛行試験に成功した。タンデム型(縦列)座席で機体本体の幅は1mしかないため、レーダー反射面積が小さく、目視発見率も低い。量産型機の部隊配備は12年度からの予定。なお、同機はAAM×4で武装する。

輸送ヘリコプター CH―47JA
性能諸元
乗 員 3人(P×2 .M×1) +55人
エンジン
名 称 T55.K。712
出 力 4336SHP×2
製 作 川崎重工
全備重量:22,680 kg
最大速度:  267km/h
巡航速度:  257km/h
航続距離: 1,037km
実用上昇限度:2,673m
備  考:
輸送へリコプターの質的向上をはかるため、V−107の後継として59年度からCH−47Jの調達を開始。中砲、大型車両等の空輸が可能となり、大幅な空輸能力の増強をはかったが、更にその性能向上、特に、長距離輸送能力の向上をはかるため大型燃料タンク化し、47JAとして平成7年から取得を開始した。
  











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