目次
1 ご挨拶 代表理事 高木謙次
2 阪神淡路大震災で本会員にも被災者
3 好評”タイピンセット”
4 特別寄稿「ルワンダ難民救援隊長の手記」
5 変貌を遂げつつある武器補給処
6 会員の近況
7 事務局担当者等の異動
8 事務局からのお願い
9 編集後記 
王土会会報 第6号 (7.4.1)
     ◎ ご 挨 拶
           代表理事 高木謙次

 今年も陽春の候を迎えましたが、王土会の会員の皆様いかがお過ごしでしょうか。
 昨年同時期グランドヒル市ヶ谷で皆様にお会いして早や1年が経過いたしました。
 この間わが国内外共にいろいろな事がありました。とりわけ先般突如発生した「阪神淡路大震災」は阪神地域に未曾有の災害をもたらしました。王土会会員の中にも被災された方がおられます。
 神戸市の岸本淳一郎氏におかれましては建物倒壊によりご夫妻が死亡されました。
 改めて同氏ご夫妻のご冥福をお祈り申し上げますと共に、罹災された方々の一日も早い物心両面にわたるご復興を心から願う次第であります。
 そのほか私どもOBとしては、やはり自衛隊の環境を巡る事柄が気になるところです。
 これまで「自衛隊は違憲である」としてきた社会党党首の総理大臣誕生、カンポジヤに続いてのモザンビークPKO及びルワンダ難民救援活動への派遣、相次ぐ防衛庁長官の交替、防衛予算の圧縮等(概算要求増額に一定の基準を設けることになった昭和36年以来最低の増加水準)。
 40周年を迎えた自衛隊にとっていろいろな意味での意識改革が迫られる事でありましょう。
 それにしても、自衛隊の国際貢献には、仲間の事ながら頭の下がる思いです。政治の姿勢が暖味不明確であるなか、一度国の命令が下るや困難な任務に勇気と献身をもって立ち向かう人間集団が、今の日本に存在する事に頭が下がるし、誇らしくも、嬉しくも思われます。
 これらのことは、すべて冷戦終結後、国際環境の変化の影響が目に見える形でわが国にも波及してきたものと言えましょう。
 冷戦時代が終わって「次ぎなる時代」が如何なるものか、又その時代に移る間の道が平坦な道か、それとも不確実で混迷に向かうタフな道なのかは、未だ不明ですが、いずれにしましても其の道の状況を錯覚にとらわれて誤認することだけは避けてほしいものです。
 その結果、自衛隊が肝腎な時に息切れして役に立たない存在にだけは何としてもなってもらいたくないからです。
 とは言え私どもOBとしては、何の力も手段も持ち得ないわけですが、それだけに現職の皆さんのご苦労を心から労うと共にご奮闘を切に願うものであります。
 王土会の運営は、会員の皆様のご協力を頂き、お陰様で極めて円滑・順調に推移しているものと思っております。
 今年の王土会総会は、別添でご案内致しておりますとおり、来る5月18日(木)、昨年同様グランドヒル市ヶ谷で開催すべく準備をすすめております。一人でも多くの会員の皆様に席上でお会い出来ます事を役員一同楽しみにお待ち申し上げております。

   ◎ 阪神淡路大震災で本会員にも犠牲者
 代表理事の挨拶の中にもありますが、この度の阪神淡路大震災におきまして、現在、事務局で把握している範囲においても、お一人の尊い犠牲者を出す結果となりました。
 その方は、昭和56六年、関西地区補給処祝園弾薬支処の補給科長を最後に退官され、その後、神戸市須磨区にあった兜x士通テンの保養所に管理人として勤めておられた岸本淳一郎氏でありますが、その保養所の倒壊でご夫婦ともども帰らぬ人となられました。
 誠に痛ましいかぎりです。
 ご遺族には、それぞれ家庭を持たれたお嬢様がお2人おられ、去る1月25日に混乱を避け、明石において葬儀が執り行われました。葬儀には交通も途絶えがちな中を王土会会員の有原紀一、佐々木強、谷涼之介の3氏が列席されたとのことでありました。
 心からご冥福をお祈り申し上げます。
 尚、事務局で名簿を通じて掌握いたしました範囲ですが、今回の地震で特に被害が大きいと判断致しました左記の地域には、岸本氏を除いて合計で14名の方々がおられます。
  神戸市内 2名   宝塚市内 2名
  西宮市内 2名   尼崎市内 3名
  伊丹市内 4名   淡路島  1名
 これらの方々には、王土会としてお見舞状を差し上げましたが、早速、数名の方からは比較的被害が少なく無事であった旨のご丁重な礼状、或いは電話を頂戴致しました。
 尚、これらの地域以外でも同じ様な被害を被られた所もあったのではないかと危惧致しております。
 もし、その様な方がおられましたならぱ、ここにあらためてお見舞い申し上げますと共に、一日も早くこれまでの平穏な生活に復帰されんことを心から祈念いたします。 

    阪神淡路大震災で黙々と災害派遣に任ずる隊員に陣中見舞いを
 この度の大震災で、既に会員の皆様には、何等かの形で義援金の募金にはご協力頂いていること存じますが、王土会といたしましては、いろいろ飛び交う世評をも気にせずに、被災者の救援、被災地の復興を目指し、唯々黙々と災害派遣に任ずる隊員に対し、そのご苦労を労う意味において、なにがしかの陣中見舞い(少々時期を失してしまいましたが)を致したいと思います。
 集まりました募金については、陸幕に差し上げ、その配分をお任せすることといたします。
 ご賛同頂けます方は、金額は幾らでも結構ですので、年会費等の送金と共に郵便振替でご送金下さい。
 尚、総会当日、会場においても、募金を行いますので、ご出席の方はその時行っていただいても結構です。

  ◎ 好評!”タイピンセット”
 前号でご紹介しました王土会オリジナルの職種徽章を模したタイピンセットは、会員の皆様のみならず現役の諸官からもご好評をいただき事務局一同うれしい悲鳴をあげる結果となりました。皆様のご協力を心から感謝申し上げますとともに、最初の試みでもあり、需要予測もつかず控え目に発注致しておりましたため、一部の方々にはお手元に届きますのが大変遅れましたことをこの紙上をお借りしてあらためてお詫び申し上げます。
 成果につきましては、2月末現在で、350セット発注し、武器学校で購入していただいた100セットを含めまして330セットほど頒布を致しております。
 この事業は、今後も引き続いて実施していきたいと考えておりますので、ご希望の節はいつでも郵便振替(今回は、同封の振込み用紙をご利用下さい。尚、ご利用にあたっては本紙最終頁の事務局からのお願いをご参照下さい。)で2千円を事務局宛てご送金のうえお申し込み頂ければ直ぐにお手元に品物をお送り致します。
 なお、5月の総会時の受付においても準備いたしておりますのでご出席いただける方はご利用下さい。

 [特別寄稿]
 この記事は、アフリカのルワンダ難民救援のため派遣され、医療、給水などの任にあたった約400名の陸上自衛隊の指揮官として活躍された。武器科のエース”神本1佐がその任務を完遂し、暮れも押し過つた12月23日に無事帰国され、帰国後のお忙しい中にも拘らず、本会報のために、特に寄稿された貴重な手記であります。
 [神本1佐の主な経歴』
O防大14期(昭和45年卒)
O技術研究本部企画部企画調整官
O陸幕装備部開発課開発第1班長等を歴任され、現在は
O第2後方支援連隊長兼第2師団第4部長
(この問、技術高級課程、高級幹部課程をそれぞれ修了)

  
ルワンダ難民救援隊長の手記
        1等陸佐 神 本 光 伸
1、はじめに
 昨年は、はからずもルワンダ難民救援隊長として、9月30日出国し、12月20日までの間、アフリカのザイール共和国ゴマ地区で我が国初の人道的国際的救援活動を行って参りました。派遣に当たって王土会会員の皆様から、多大なご支援を賜りましたことに対しまして、紙上ではありますが、厚く御礼申し上げます。
 現地の活動に対しましては、マスコミを通じかなりご承知のこととは思いますが、武器科の幹部として体験したことの一端をご紹介し、お礼の報告とさせていただきたいと思います。
2、派遣準備
 平成6年9月1日防衛庁長官の派遣準備命令により、公に派遣準備に着手することになりました。現場の部隊としましてはこのことを予期し、8月中旬から連隊独自で派遣の机上検討等を始めることにしましたが、その頃はまだ、救援隊長が誰になるかは決まっておらず、私としては部隊派遣に遺漏がないように、部隊の練成と準備資材の検討を待っておりました。この時期の主要な検討課題は、隊員の安全確保のためにどのような準備を行うか、救援活動はどのように行うか、これらのために何を準備するかということでした。
 現地に関する情報が少なく、マスコミの現地の治安が悪いという情報に基づき、特に、警備に関する検討に時開を割きました。
 9月7日から準備練を含む本格的な派遣準備を行いました。
 準備訓練の内容は、現地活動に必要な鉄条網の設置訓練、指揮通信車等の操縦訓練、新業務用天幕の展張訓練等の各個訓練及び国際的救援活動に必要な共通的な知識等に関する教育を行うと共に、現地における救援活動、先発隊の現地到着後の行動及び不測事態対処等の訓練を行い、派遣準備を完了しました。
 この時期には同時並行tて、部隊の練成と現地活動の実施計画作成を行わなければならず、救援隊の幕僚は睡眠不足に陥り、早く出掛けたいとの気持ちになりがちでした。
 実施計画の作成は、第2師団司令部の全面的な支援により、何とか完成しました。
 派遣部隊の幕僚は師団、方面、陸幕からと逐次に参集しており、師団司令部の全面的な支援がなければ実施計画の詰めは不十分となったことと思います。武器関係の訓練としましては、指揮所、食堂、浴場及び整備所で使用する整備所天幕の展張訓練を行いました。
3、移動・進入
 私以下本隊の第1波100名は、9月30日、千歳。成田経由で出国する予定でしたが、台風の影響で前日の夕、急遽速習志野に移動することになりました。 夜半に何とか習志野駐屯地に到着しましたが、駐屯地では急な話にも拘らず、山本空挺団長のご配慮により、快適な入浴、宿泊の支援を頂き十分に休息をとることができました。
 成田出国後は、英国防衛駐在官遠山1海佐及びケニア大使館職員のご配慮により万事順調にいき、10月1日午前五時半、ナイロビ・ヒルトンホテルに無事到着しました。この日は第3科長を直ちにゴマ地区の偵察に派遣、先遣隊と本隊到着後の行動についての調整を実施させました。
 夕刻、先遣隊の松村2佐等を含めミーティングを行い、ゴマ到着直後の行動について全員に徹底を図るとともに、爾後の行動を容易にするため、チェック・アウト等の処置を済ませ、全員早めに休ませることとしました。
 明けて10月2日早朝ホテルを出発、8時に1番機、8時20分に2番機が夫々ナイロビの空港を飛び立ち、ゴマ時間で9時半過ぎに両機とも無事ゴマ空港に到着しました。
 到着早々のゴマ空港では難民と思われる人々が滑走路脇に並んでおり、一種異様な雰囲気があり、いつ彼等が襲ってくるか、或いは物を取りにくるか心配しました。
 空港到着後、50名以上のマスコミ関係者に取り囲まれ驚きましたが、緊張の中、各隊員に自分の五感に感じたことで判断するよう訓示、早速先遣隊の展開地に各人の荷物を搬入し、同じ頃到着した輸送機の荷物の卸下を始めました。
 飛行機の周囲には、住民・難民がやたらと多いことに驚きましたが、徐々に、治安情勢は安定しているように感じられてきました。
4、展 開
 先遣隊は、空港ターミナル・ビルの近くに展開しておりました。先遣隊の準備した本隊の展開地域に、とりあえず宿営態勢をとることとしました。
 各隊員は、輸送機アントノフから荷物を卸し、事前訓練の手順に従い、外周部に鉄条網を設置、内側に新業務用天幕を展張、装備品・コンテナ類は人員用天幕の近くに配置、宿営地の出入口には警戒員及び警備隊の天幕を展張するとともに、警戒員は、鉄条網の設置間は外周部に、設置後は内側に配置し、警戒に当たらせました。
 この様にして取敢えずの宿営態勢を夕刻までに完了させ、ゴアでの第一夜を無事迎えました。
 翌3目、空港長を表敬訪問し、宿営地として使用する地域についての了解を求めましたところ、救援活動のためならば何処を使用しても良いと快く承諾され、更に、住民が不法に耕作し畑となっているところについても使用して構わないとの話まで出ました。
 この日予定していた輸送機が到着しなかったため、宿営地の場所について再度検討することにしました。
 偵察の結果、空港管制塔の南側は地積的にはやや狭く傾斜地ではあるが、展開地として適していることが判り、細部配置の検討を第3科長に命じました。
 宿営地の選定にあたっては、警戒の容易性地積、地盤、排水、進入進出の便、空港エプロンとの交通の便等を考慮しました。
 第3科長は、各隊の運用幹部を集め、展開地の細部配置に関して検討を進め、夕刻にはとなった訳です。
 夜のミーティングで翌4日に宿営地を移動することに決し、要領としては新業務用天幕だから可能な方法といえる展張したまま運ぶという案を採用しました。
      
                   難民キャンプ

 4日は宿営地の引越し行事が中心となりましたが、アントノフの2、3、4番機及び航空自衛隊のC130が2機到着したため、認引っ越しと荷物の卸下が一緒になり、戦場のような忙しさとなりました。
 この日、私は引越しのどさくさに紛れての盗難、略奪の発生が心配となりましたので、当初予定していた難民キャンプの偵察を中止し、国連難民高等弁務官ゴマ事務所長の表敬訪問のみ行い、後は、引越しの全般指揮をとることにしましたが、幸いに事故も無く、夕刻までには両作戦ともほば完了しました。
 5日には、先遣隊がゴマから撤収したため先遣隊の宿営地に掲げていた日章旗を本隊の宿営地に掲げ、本格的な宿営地整備にに入りました。
 先ず、6日には、同時に3名が利用できるシャワー・セットの使用を開始し、11日にはゴマドームと称した多目的大型天幕を、13日には洗濯場を、14日には正門を、19日には食堂と浴場を、25日には整備所を完成して宿営地整備を完了しました。
 この間、18日には宿営地周辺で銃撃戦が行われたため、宿営地の外周部をコンテナと土のうで囲む作業を19日から27日にわたり行いました。
5、警 戒
@ 宿営地の警戒
 宿営地の警戒は、人員用天幕を宿営地の周囲に配置し、無人の施設等に警戒監視の目が届くように配慮しました。外周部は当初1段1列の蛇腹鉄条網でしたが、2段3列の鉄条網まで逐次強化するととも、国境方向及び危険と思われる方向には土のうやコンテナーを設置し、隊員が安心して休息がとれるように配慮しました。
 警備隊は、人員47名3交替勤務とし、昼問は、総合戦闘射撃訓練用タワー2基の上部に監視員を配置し、四周の警戒に当たらせるとともに動哨により、主として宿営地の警戒を行いました。警戒上特に考慮したことは周囲の状況の変化に敏感に反応することがあげられます。例をあげますと、夜間外柵近くに潜伏者を発見したことがありましたが、これに対しては、直ちに不法侵入者等が潜伏可能な宿営地周辺の要点に対する巡察を開始する一方、翌日には死角となりやすい植生の刈取りを行い、夜間照明を固定照射から移動照射に修正、さらに夜間照明の死角を点検し照明を補強する等、常に「戦う意識」をもって対応しました。
 ゴマでの生活が始まり1ヵ月が過ぎる頃には、緊張感と集中力が低下しつつあることが認められました。この時は、気分転換のため体育、ゴマ山登山、キブ湖の湖岸の散策等を計画し、気分転換を図るとともに、警戒に当たる隊員には、「相手は生活をかけているのだ!」と注意喚起して緊張の持続に留意しました。
A 救援活動時の警戒
 救援活動のため宿営地を離れる場合、警備隊から所用の要員を同行させ、活動間の隊員の安全を確保しました。難民キャンプやゴマ市内の治安情勢が悪化した時は、隊員を派遣する前に部隊行動に慣れた本部要員からなる偵察隊を派遣し、安全を確認した後、救援活動に入るという方法を採用しました。
 キャンプ地域等の治安情勢の判断については、部隊自ら入手する情報並びにゴマに派遣されている連絡調整員、ザイール軍の連絡将校、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)防衛駐在官及び陸幕等から入手する情報に基づき、日々刻々変わる情勢に対応するように努めました。時々はデマや流言蜚語で状況判断ができないことがありましたが、その時は宿営地で情勢検討会を開催し、情勢の分析を行い、その結果に基づき対策を待ったこともありました。一例としては、11月3日に、日本のNGOのAMDAの車両がギブンバキヤンプで略奪される事案がありましたが、前日の分析結果ではNGOが襲われることがあるとの情報を得ていましたので、朝から警戒を強化するよう指導していたところでしたから、迅速に対応することができたこと、及びルワンダ愛国戦線(RPF)がムダンガキャンプで飲料水に毒物を混入させようとした事案がありましたが、この情報に基づき給水所の警戒を強化するとともに、飲料水の毒物検査を開始したこと等があげられます。
      
                   救援隊宿営地
B 警備訓練等
宿営地のと隊員の安全を確保するため、不測事態対処訓練及びニイラゴンゴ火山が噴火した場合の避難訓練を数回行いました。
 これらの訓練状況は柵外にいた難民とゴマ市の住民がしっかりと見ておりますので、自衛隊の規律の厳正さとともに精強さが理解されたものと思います。必要な訓練を行ったわけですが、心の中に「来ればやってやるぞ」と念じていたことが通じたのか、宿営地周辺の治安情勢は、逐次安定化しました。
 しかし、撤収時期が近づくと報道関係者の車が恐喝紛いの被害に遭うなど治安は若干悪くなったと感ずるようになり、やはり部隊の存在が治安に直接・間接的に影響していることを体験しました。
6、救 援 活 動
 救援活動は、治療活動、防疫活動、及び給水活動を主として行いました。
@ 治 療 活 動
 ゴマ病院において難民に対する治療活動を行いましたが、外来患者数は延べ約2,130名、ゴマ病院における手術患者数は約70名にのぼりました。
 更に、治療活動を容易にするため、アミキブ州立試験場においてNGO(非政府組織の民間援助団体)等の治療活動に必要な難民の血液や便の検査等も行いましたが、その検査数は約1,350件になりました。
A 防 疫 活 動
 難民キャンプにおける消毒を5回行いましたが、現地ではローカルスタッフに対する技術指導が望まれていましたので、これを延べ約900名に対して行うとともに、この技術指導に連携し、防疫用薬剤約4.5トンの輸送も行いました。
 更に、難民キャンプの汚水用浸透桝の整備を11か所、或いは、排水溝やトイレ用敷地の整地なども実施してきました。
B 給 水 活 動
 難民等に対する浄水及び給水は、キブ湖の湖岸で行いましたが、給水に関しては、ゴマ地区給水量の約5割を担当し、その総給水量約7万トンに達しました。
C その他の活動
 救援隊は自己完結性を確保するため、管理隊の中に、整備班、施設管理班等の機能が付与されており、武器科の隊員は主としてこの整備班で活躍しておりました。班長菅原2尉以下7名の編成であり、NGO等の車両の回収、整備支援で活躍してくれました。また、本部や給水隊の一部にも配置されておりました。
 救援隊としては、その他、人員輸送、患者輸送、ニイラゴンゴ火山観測支援、ゴマ市内や難民キャンプ内の道路。排水溝整備、変わったところでは穴に突き落とされた人員の救出等も実施いたしました。
        
            英国ODAの水タンクトレーラの回収支援
7、撤  収
 撤収は、戦いにおいて最も難しいものの一つと言われています。
 派遣準備の段階では、第2陣が到着することを予期しておりましたが、逐次撤収もやらなければならない状況となりました。
 撤収は部隊の弱点を生じ、一般的には危険であるとの認識は、派遣準備の段階からありました。撤収については上級司令部からの命令に基づいて行うことになりますが、国外の活動における撤収準備には時間がかかることが予想されたため、早期に準備に入りたいのが現場の気持ちでした。しかし、早期に準備に入りますと、救援活動の時間が短いとの批判が出てきますし、現地の治安の悪化を招くことにもなり兼ねません。このため如何に撤収企図を秘匿しつつ準備を進めると同時に救援活動を最後まで継続するかについて検討を始めました。
 その結果出た結論が、宿営地整備の延長上で撤収準備を行うという方法でした。
 その例として、展開に見せ掛けて、撤収時に必要な検疫を考慮した駐車場及び洗車場の整備、並びに展開を継続しているように見せかけるための継続的な土のうの積上げ作業があげられます。
 報道関係者は薄々気付いていたようでしたが、顕著な事象がなかったためか撤収準備開始の報道は、実際の作業を開始してから約2週間後となりました。
 救援活動の撤収は、12月初めから業務を逐次縮小しつつ申し送りを開始しました。
 この際、救援隊の出国後に憂いを残さないように、ローカルスタッフの教育、技術移転に着意し、申し送りに万全を期しました。
 救援活動の撤収で特に意を用いたのは施設関係の撤収です。
 11月25日、ゴマ市の北約50粁の所にあるカタレキャンプで乱射事件があり、ザイール側はその翌日刑務所に拘留されている犯罪者をルワンダに強制送還し、更に、治安維持のため、キャンプ外にいるルワンダ難民を、キャンプ内に強制的に収容する方向で指導を始めました。カタレキャンプ付近の偵察に行くと、道路には荷物を担いだ難民の群れ。が延々と続く状態でした。
 各キャンプは元々余裕がない状態でしたから、直ぐにこの難民を収容するためのキャンプ整備の必要が出てくるものと判断致しました。そこでUNHCRに照会したところ、未だ具体的な対応について検討していない状態でした。
 現地の施設器材は限られており、我々の器材も虎の子の状態でしたので、撤収を開始した後で支援要請がくると撤収準備の妨げとなり、苦しい選択を強いられることになりかねません。そこで、撤収企図を秘匿するためと離脱を容易にするために攻撃を行うことがあるのを思いだし、1日だけに限定して積極的に支援をすることを申し出ました。
 UNHCR側は唐突な申し出に面食らい、調整に時間が掛かりましたが、日本から派遣されたUNHCR補佐官の長和氏の尽力により、翌日にキャンプ整備が出来るようになりました。
 当日は雨となりましたが、多数の難民が見ている中、カヒンドキャンプの道路整備及びトイレ用地の整備を行い、無事施設関係の活動を終了し、撤収における係累の除去に成功しました。報道関係者からはいろいろ質問がありましたが、企図の秘匿上詳しい説明ができず、苦しい立場に立たされたこともしばしばでした。
 撤収の際の隊員の安全確保は、出国の前日と当日が山になることが予想されました。
 私は、このときのために全ての努力を傾注することにしました。
 ここで、撤収のために着意した主要な項目について以下に紹介致します。
(1)全般事項
 ア ザイール軍との友好関係の保持(治安維持責任の立場を尊重)
  (ア)救援隊の安全確保はザイール国、軍に利益をもたらすと反復PR
  (イ)各種行事、懇親会に軍関係者を招待
  (ウ)警備等に協力してくれた兵士にお礼
  (エ)将校、下士官との交流
  (オ)慰問品等のお裾分け
 イ ザイール軍に警備を具体的に要請
 ウ ザイール行政当局との友好関係の促進、でき得れば要人を日本へ招待
 エ 輸送計画は可能な限り前倒しし、撤収日の係累を削減
 オ 救援隊の態勢
  (ア)救援隊の厳正な警備
        (盗難防止、武器使用回避)
   @勤務状態の服装態度
   A外柵周辺接近者の排除
   B警備上の弱点の補強
   C外柵から天幕内の補給品等が見えないように指導
  (イ)最後まで多数の武器、隊員を確保
        (弱肉強食の原理に対応)
 カ 報道関係者との良好な関係の保持
        (最後まで取材を期待)
(2)撤収日前後の着意
 ア 出国時、UNHCR所長、州知事、ゴマ市長、軍の高官、
   在ザイール日本大使館関係者等を出国行事に招待
 イ 報道関係者に積極的に協力、国際的報道態勢の確保
 ウ 輸送機(アントノフ、Cー130)が故障した場合の対策案作成
 エ 第1波、第2波出国時の警備強化をザイール軍に要請
(3)撤収日前夜から当日の対応
  ア 仮眠に必要な装備以外は全て撤収、略奪目標となる物をコンテナに格納
  イ 宿営地周辺の白昼化
  (ア)総合戦闘射撃訓練用タワー2基を最後まで確保し照明
  (イ)発電機撤収後、使用したランプを土のうの上に10b間隔で配置
  (ウ)宿営地内部は天幕の出入口にランプを配置
  (エ)焚き火による採暖、照明
 ウ 半数仮眠、半数待機の態勢、巡察を担任区域ごと実施
 エ 照明用発射筒、信号拳銃の使用の準備
 オ 幹部による威嚇射撃を検討
 カ 警備隊とザイール軍兵士による共同巡察
7、所 見
 最後に、この活動に参加して感じたことを少し述べてみたいとおもいます。
 指揮官の内示をいただいたとき、その重責に耐え得るか心配しました。
 何をしなければならないか、何をなすべきかを考えているうちに、PKO法は部隊を安全なところに派遣することが前提となっており、戦うための条件は整備されておらず、危険になったら逃げろと書いてあるとの理解に達しました。自衛官として長年勤務しておりますから、最初から逃げろとの発想はとてもできないことでした。このことに気付いてから気持ちが楽になりましたが、安全と危険は紙一重であり、両者の間において部隊は、非常に苦しい選択を強いられ。ることも予想できました。しかしながら、救援活動に派遣されて武器を使用し現地の人々を傷つけては全てが無になると思いましたので、武器は使用しないとの方針で臨みました。このことは部隊の編成完結直後、隊員に「傷つけるな、怪我するな」と言うかたちで要望しました。
 各隊員が武器を使用しないですむように、警備においては、「先手先手」の対応に心掛けてきました。戦わずして敵を制することの実践は、まさに「心理戦」であると感じました。不法者は何時、何処を、どのように狙うかを四六時中考えておりました。また、治安情勢の把握には言葉の壁がありますから、通訳された情報のみに頼ると危険であるとの観点から、住民・難民の動向の観察に着意し、常に接触を保つことに努めました。
 その観察の中から救援隊の到着後、住民が人心地を取戻し、道路の清掃を開始したり、家の手入れを行うようになったり、顔の表情が明るくなってきたことが判りました。
 ザイール軍は、当初訓練や敬礼を見ることがありませんでしたが、次第に朝礼を始めたり、敬礼・儀仗の訓練を行うようになり、救援隊としても負けないように訓練に励まなければならなくなり驚きもしました。撤収日頃には隊伍を整え隊歌行進を我々の宿営地の前だけで行うということがあり、ザイール軍が我々救援隊を意識して行動していることがわかりました。軍隊は相手があると、張り切るものであるとあらためて感じました。
 救援活動には危険はつきものと思います。
 NGOの皆さんはその危険を覚悟して救援活動に参加されておりました。誠に頭の下がる思いでした。
 治安維持の責任は、ザイール軍が第一義的に持っているわけですが、我々の到着以前はザイール軍への信頼感が高くなかったようで
した。しかし、我々はザイール軍を信頼することに心掛け、相互の意思疎通を図ることに意を用いました。旧ルワンダ政府軍を武装解除し、押収した武器・弾薬を見学する機会がありましたが、押収した武器・弾薬は野積みにされており、付近の子供達が側で遊んでおり、自由に持ち出せる状況でした。そこで、同行していた連絡将校に危険ではないかと指摘しましたが、その時の回答は、後で片付けるとのことでしたので、2週間後に確認に行ったところ見事に片付けられておりました。
 我々の意見を取り上げてくれていることを感じ、これなら一緒に仕事が出来るこ思いま、した。
 こちらが信頼すれば相手も応えてくれる。
 国際的活動を行うときに必要な事は、言葉ではなく、心であると思いました。
 ザイール軍が信頼できることを確認しましたので、UNHCRの所長にもザイール軍との協力関係を強化するよう進言しました。
 今回の救援活動に参加して個人的には大変良い勉強になりました。貧しい国においては生活のため止むを得ず犯罪を犯さなければならない人がおります。日本に生れて本当に良かったと隊員一同が感じたものと思います。
 人助けは本当にいいものです。
 難民の窮状を拝見し、日本の豊かさ、有難さを痛切に感ずると共に、難民の人々が如何に遠く離れた日本に対する期待が大きいかを
感じて参りました。
 又、闇雲に支援しても問題解決ができるものでもないことを実感してきました。
 一日も早くルワンダ難民の方々に幸せが訪れるよう祈りたいと思います。
8、おわりに
 武器科の幹部の代表として、我が国初の人道的国際救援活動に参加したわけですが、諸先輩に教わったこと、学校教育で学んだ事に基づき状況判断、決心を行ってきたわけです。
 有事とまでいう状況にはありませんでしたが、有事を想定して行っている武器科の教育訓練は、この種の活動に十分な内容を有することが私なりに判りました。
 これまで厳tくご指導頂いた武器科の諸先輩の皆様のご薫陶に感謝し、王土会を始め、多くのOBの皆様から激励を賜りましたことに対しまして、お礼を申し上げ、ルワンダ難民救援隊の活動の紹介を終わらせていただきます。
 終わるにあたり、執筆の時間に限りがありましたため、内容を十分に整理できませんでしたことをお詫びいたします。
 ありがとうございました。
                       完

  ◎ 変貌を遂げつつある武器補給処
 これまでに、武器補給処の将来構想或いは武器学校施設の最新情報等をお伝えしてまいりましたが、今回は武器補給処の施設がどのように変わりつつあるかを写真を交えてお伝えしたいと思います。
 とにかくこれまでの古い建物は全て取り壊され、全てが規模も比較にならないほど大型なものに変わりつつあり、完成の暁には昔の面影は全くなくなると言っても過言ではないのではないでしょうか。
 新しく移り変わることは、陸上自衛隊のためには非常に良いこととは思いますが、我々過去の者にとってはやはり寂しさを感ずるのではないでしょうか。
 それでは武器補給処企画室から頂きましたものを原文のままご紹介いたします。

   施設の近代化へ大躍進
     陸自のモデル 武器補給処

 王土会会員の皆様が既にご存じのとおり、霞ヶ浦駐屯地は年ごとに新施設が建ち大きく変貌しつつあります。今回は、霞ヶ浦駐屯地にあってその主要施設を占めております武器補給処の概要等につきまして簡単に説明いたします。
1、本計画の概要
 この事業は「多極分散型国土形成促進法」に基づき防衛庁として企画Lました「防衛庁本庁庁舎等移転計画」により実施しているもので、関連する駐屯地などは九個単位あります。
 この内、霞ヶ浦駐屯地は駐屯地間移転の玉突きの関係で平成2年に最初に着手された駐屯地であり、後2年ほどでほぼ完成予定です。
2、過去の経緯及び完成予想図等
 昭和62年に駐屯地準備委員会を発足、じ後、実行委員会に拡充し「基本構想等の決定、予算見積資料の作成、地元説明の実施及び基本計画・実施設計の作成」等平成元年までの間に関連諸計画を策定すると共に、基礎固めの措置を完了し、実施にはいりました。
 現在、経費はかなり圧迫されてきておりますが、この延長線上で進捗しており約7割程度の完成度であります。
 また、この計画により全てが完成しますと下の図のような配置になり、駐屯地の建物の数は約200棟から約100棟に集約・立体化され、陸自のモデル駐屯地に相応しい近代的なものとなります。
 尚、地下ケーブル方式をとっておりますので、完成後は電柱のないすっきりとした駐屯地になる予定です。
 
3、武器補給処関連施設の概要
 関連する施設は、庁舎・隊舎・体育館等の共用施設と倉庫・工場等の武処施設に区分されますが、特徴のある施設について若干説明いたします。
☆ 本部庁舎は、正門から入りますと左手に見えます6階建ての高さ約30b、長さ約70bの建物であり、旧本部庁舎より少し後ろに位置しています。
 屋上には国旗掲揚塔、3階には処長・副処長室、1階には当直室等があり、全館冷暖房が完備されております。
 各部の執務室は基本的には大部屋方式であり、部の特性に応じて適宜衝立等で仕切られ、OA機器等への電源は床からフリーアクセス方式で各人の机にいくようになっております。
 なお、第2庁舎は地下1階・地上5階建てで、本部庁舎のすぐ後ろに位置する関係上、正面玄関は北側に向いておりま。
  
               本部庁舎全景
☆ 厚生センターは、約40m×70mの2階建ての建物で、1階は食堂、2階は各種売店・図書室・業務隊の厚生科等があります。
 この他、座席で約500名収容出来る駐屯地講堂、或いは体育館・プール・テニスコート・運動場(整備予定)及び広報センターがあります。
 なお、隊舎は約500名収容できる8階建ての建物2棟が建ちますが、内容は前号の本会報で紹介されていました武器学校のものとほぼ同じでありますので省略いたします。
☆ 次に、正門を入りますと直ぐに、右手に際立った巨大な建物が2棟並んで目に入りますので、これについて説明いたします。
  これらが手前から航空機部品、そして火器車両部品等の保管倉庫群です。このうち火器車両部品等の保管倉庫は駐屯地内で最大の建物であり、東西87m、南北197m、高さ27m(6階建の本部庁舎とほぼ同じ位いの高さ)の2階建てで、延べ床面積約3万平方メートル、東京ドームのグランド部分の約2倍に当たります。因みに、旧倉庫40号は約120m×180m、38号が約60m×100mの大きさでしたので、集約立体化された状態がよく理解できると思います。
 昨年10月末に完成し、年度内を目途に、現在補給品を移設中であります。
  
        中央の白い建物が庁舎
              右側の巨大建物が倉庫群

 ここでこの保管倉庫の内部を少しご紹介いたしますと、受領・発送所、事務室等は別としまして、倉庫部分は大きく3つに分類されます。即ち、大物置場、中物自動倉庫、そして小物自動倉庫に別れており、大物についてはこれまでと同様に床或いは大型の棚等に直接置かれ、フォークリフト、或いは天井クレーンで出し入れしておりますが、中物、小物については完全に自動化され、バケット〔約60糎×40糎×40糎の篭)やパレット(120糎×120糎)に載せられた部品は、それぞれの倉庫領域の先端にあるピッキング・ステーション(入出荷の作業を行う場所)から保管棚までは、クレーン、リレーコンベア、更にはトラバーサで自動搬送され、この間はコンビュータの操作以外は全く人間の手を介する事はなくなりました。
 また、入庫及び出庫の指示はすべて電算機によって行われ、必要な帳票類は指示と同時に電算機から出力されますし、電算機への入力を効率的かつ正確に行うため必要なデータはバーコード化されています。
  
           自動化された保管倉庫の内部
 この自動倉庫の部分は、上の写真のように一階の床から27mの高さの天井までの吹き抜けの中をラックが続いておりますので下から見上げると上の方はかなり小さく見えるほどです。
 なお、誘導武器部の工場・倉庫群及び火器工場は、旧航空部保管倉庫・食堂付近等に建設中であります。
 また、7年度以降にも火器車両関係の工場・倉庫・走行試験場等が着工予定になっております。
 このように武器補給処(霞ヶ浦駐屯地)は見違えるように変化を遂げつつあります。
 数年前の面影は殆どなくなりつつありますが、本部庁舎屋上からの眺めも壮観でありますので、是非ご来訪の上、ご確認いただきますとともに、変革の中にあります武器科の後輩の激励をお願い申し上げます。

   定 期 総 会 の 開 催
 第33回「王土会」定期総会が同封の「総会のご案内」のように、
  5月18日 (木) 18時からグランドヒル市ヶ谷で開催されます。
 多くの方々のご出席をお待ちしております。
 尚、当日ほ例年と違い木曜日になっておりますので、ご注意下さい。

    昔の仲間と海外へ行ってみませんか

 王土会の事業の一環として、別添のパンフレットのような海外ツアーを企画いたしました。
 全くの王土会独自のプライベート・ツアーですので、昔の仲間を誘いあって、或いは、ご家族で参加していただければ、楽しい旅になることと思いますが、如何がでしょうか。
 是非、多くの会員の皆様が参加をしていただけることを、心待ちにいたしておます。
               企画担当理事

 ◎会員の近況
☆平成6年秋の叙勲
  「おめでとうございます」
 勲三等端宝章
 樋口浩一郎 (元武器学校長)
 六反園文雄 (元武器補給処長)
☆新入会員
  「宜しくお願い致します」
 橋本  諒 (北処)   福田靖夫 (武処)   山田隆司 (武処)
 佐藤  蔀 (十条)   森  清勇 (北処)  金子則秋 (会監)
 大高 尚 (武校)    河千田征幸 (武校) 佐々木四郎 (東北処)
 佐々木  博 (北方総) 緕q良三(北処)   住吉明郎 (武処)
 鈴木則明 (十条)   橋本健一(14普)   長谷川信大 (高射校)
   (順不同)
★訃  報
  「心からお悔やみ申し上げます。」
 馬原政治 (西方) [6.6.12]
 岸本淳一郎 (祝園) [7.1.17]

 ◎ 事務局担当者等の異動
         (3月定期異動)
   3佐  伊 手 功 徳
 陸幕武器化学課総括班から武器学校へ
  (武器化学課における王土会の窓口として、調整・情報の提供等にご尽力頂きました)
   2佐  田 中 清 臣
 十条支処総務課長から十条支処付に
  (王土会事務局の直接的な支援業務の責任者としてご尽力頂きました)
   事務官 大 塚 徹 也
 十条支処総務課援護班長  定年退官
  (王土会事務局の直接的な支援業務の担当者としてご尽力頂きました)
 お3方のこれまでの王土会に対するご協力に感謝申し上げますとともに、益々のご発展を心から祈念申し上げます。
 尚、それぞれの後任者につきましては、次の会報でお知らせ致します。

 ◎ 事務局からのお願い
1、年会費の納入について
 今回も郵便振替用紙を同封してありますので、平成7年度分の会費の納入を宜しくお願い致します。
 尚、来年度以降の会費をも併せ納入される方は、事務局のほうで間違いを起こすといけませんので、その旨を用紙の通信欄に明記して下さい。
2、送金について
  今回は、年会費、募金、及びタイピンの申し込みを1枚の郵便振替用紙によって行わせて頂きますので、左記の要領で郵便振替用紙の通信欄に具体的にご記入下さいますようお願い致します。
  年会費  ……何年度分
  募 金  ……ご協力いただける金額
  タイビン ……何セット(申し込まれる方は)
  ◎ 編 集 後 記
 正月気分もようやく抜け切り、成人式の華やかな晴れ着姿がまだ眼に焼き付いたままの連休明け、突如襲った阪神淡路大震災に被災地におられた方々は、さぞ驚かれるとともに被った被害の大きさに愕然とされたことと思います。1日も早い回復を祈らずにはおられません。
 既にご紹介のとおり、会員にも犠牲者が出たことは誠に残念ですが、それにつけても、本会も全国組織ながら横の繋がりが弱いため局地的な事柄の掌握がなかなか難しく、今回の大惨事における会員の消息も十分に掴めたとは思えません。地方におられる会員諸兄からら情報をュ個人的なものでも結構です、事務局の方へお寄せいただければ有難いと思いながら本号を編集いたしました。
 いつもながら主として現役の諸官にご協力頂いた記事をもとに編集しておりますが、出来得るならば、会員の皆様の情報交換の場になればと願っております。
  











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